65 誰のせい?

2008.11


 インフルエンザのワクチンの接種をかかりつけの医院に予約してあったので行ってきた。週休日の金曜日。午後2時35分ごろおいでくださいとのことだったので、22分ぐらいに到着したら、医院の前の道路に5人ほどが待っていた。みな高齢者である。ぼくもまあ高齢者のうちに入るのかもしれないけれど、いちおうまだ60歳前なので、ちょっと他の人よりは若いかなあという感じ。

 25分きっかりに扉があいて、待合室に入る。午後の診察は3時からなので、その前にワクチン接種をすませようということだろう。受付をすませても、すぐにというわけでもなく、しばらく待っていると、午後の診察を受ける人たちも続々とやってくる。

 70歳ぐらいの女性が、待合室に入ってくるなり、「わっ。」と言った。いつもより混んでいると思ってびっくりしたらしい。すぐに受付の女の子に「ねえ、どのくらい待つの?」と聞いた。「診察は3時からですけど、インフルエンザの注射の方もいらっしゃるので、そんなには待たないかと。」「でも、3時半ぐらいにはなるわよね。あーあ、やんなっちゃうなあ、1時間かあ。1時間も待つなんて退屈だなあ。参ったなあ。買い物に行ってこようかなあ。3時半は過ぎるわよね。」「えーっと、診察の順番は3番目ですからねえ、普通なら半前には順番が回ってくるかと思いますよ。」「あらそう? でもなあ。参ったなあ。あーあ。」

 女性はブツブツ言いながら、しばらく待合室の長椅子に落ち着きなく腰掛けていたが、すぐに「やっぱり出かけてこよう。」と言って立ち上がった。「インフルエンザの注射もなさるわけですから、お帰りになったら体温を測っていただきます。」という受付嬢の言葉にも、さも面倒くさそうに「あ、そうなの。」とほとんど無視するような言い方で、不機嫌さを土ぼこりのようにまき散らしながら出て行った。

 ぼくはじっと黙って座っていたが、そういう女性の言動にどやしつけたいほどの怒りを感じた。1時間待たされることがそんなに苦痛だろうか。そんなに大問題だろうか。たとえそうだとしても、そのことが、その待合室にいる誰の責任だというのだろうか。ただ自分の思い通りにことが運ばなかっただけのことではないか。退屈するのは、教養のない、あなた自身のせいではないか。

 そう、真に教養のある人は、そういうときでも決して退屈なんてしないものだ。頭の中で考えることが山ほどあるからである。


 

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