61 ありえない

2008.10


 テレビドラマなどを見ていて面白いのはリアルなところである。サスペンスなどは、ものによってはありえない場面の連続で、その代表的なのは「崖っぷちでの告白」とでもいうべきシーン。追い詰められた犯人が崖から海に飛び込もうとしたりすると、刑事が「そんなことをして死んだ娘さんが喜ぶと思うのですか。生きて罪をつぐなってください。」などと言うと、ヨヨと犯人が泣き崩れて、本来なら取調室で供述すべき犯行の一部始終を語るというのがお約束なわけだが、それはそれでサスペンスの王道なので文句のつけようもない。

 文句をつけたくなるのは、あまりに使い古された演出だ。その代表が、誰かの噂とか悪口を言うと、その誰かがクシャミをするというヤツで、これほど古くさい場面のつなぎ方はないと思うのだが、いまだに頻出する。これは脚本家の責任なのか、演出家の責任なのか知らないが、とにかくいいかげんにやめてもらいたい。このシーンになると、ぼくは必ずテレビにむかって「いいかげにしろ。」と叫んでいたが、最近では呟く気もしない。

 話の筋は荒唐無稽でも、細部においてリアルな演技とかリアルなセリフがあると嬉しくなってしまう。それですべて許せてしまうのだ。『瞳』が見ていて気持ちよかったのは、ありえないほど善人ばかりの「いい話」なのだけれど、細部がリアルだったからだと思う。例の最終回のシーンに限らず、西田敏行と榮倉奈々のさりげないやりとりには、アドリブだったのではないかと思うほどの絶妙なリアルさがあった。脚本と演出の冴えがあった。

 さて、スグレモノの録画機のおかげで見ることになった『だんだん』だが、今までのところでは、脚本と演出に『瞳』ほどの冴えが見られないのはちょっと残念なところだ。どうも古くさい演出が目立つのだ。

 話の方は深刻で結構リアルなところがあるのに、息子にからかわれた母親が、「こらー!」とか言って、部屋の中を追いかけ回すというシーンがあったりする。今どき小学生同士だってやらない「追いかけっこ」を、どこの親子がするだろうか。ありえない。こういう細部のありえなさは、ドラマを台無しにしてしまう。そんな演技を強いられる鈴木砂羽も、ぼくが好きな女優なだけに気の毒でならない。

 まあまだ始まったばかりで、乗り切れないところもあるのだろう。だんだんよくなっていくのを期待したい、などとつまらぬ洒落はやめたほうがよいだろうか。


 

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