59 『瞳』

2008.9


 NHKの朝の連続テレビ小説は、以前はほとんど見なかった。あの『おしん』ですら、一度も見たことがない。それなのに、近ごろはよく見るようになった。

 きっかけは『ほんまもん』あたりで、池脇千鶴が出るというので、それがお目当てでよく見た。ほんとにあの頃の池脇は可愛かった。それなのに、最近の『ゴンゾウ』(テレビ朝日)に出てきた池脇は別人かと思うほど太ってしまって幻滅した。女優としての自覚を持ってほしいものだ。

 その後は『さくら』。そして『芋たこなんきん』。これは原作の田辺聖子が好きなのと、藤山直美の演技を見たいということが重なって、週休日の日や長期休暇の日々などによく見ていた。視聴率は余りよくなかったらしいが、結構面白かった。

 その後の『どんど晴れ』『ちりとてちん』そして『瞳』は、7割以上は見ている。特に『瞳』は、夏休みに入ってからは毎日欠かさずに見て、2学期が始まると録画をしておいて全部最後まで見た。(今日が最終回でした。)

 朝のドラマなので、暗い話はダメだ。『おしん』などという暗くて重い(たぶん)話が爆発的に人気を博したのは、時代の雰囲気もあるのだろう。『おしん』は昭和58年から59年にかけてで、その数年後にはバブルの時代。そういう上向きの時代にはかえって暗い話のほうが受けるのだろうか。今のような八方ふさがりの時代には、とても『おしん』など見る気にもなれないだろう。だから『瞳』のような話がいいのかもしれない。

 『瞳』は、下町人情噺であり、とにかく「いい人」しか出てこない。大阪の方から来たヤンキーっぽい女の子がちょっとした悪役だったが、それもあっけなく和解してしまう。あとは人情にあつい人々ばかり。この手のドラマは、昔のぼくなら、深みに欠けるとバッサリ切って捨てたものだが、今はそうではない。

 そればかりか、ときどき涙ぐみそうになったりする。モデルあがりだという主演の榮倉奈々は、決してうまい女優ではないが、その地でゆくようなふとした表情や、セリフまわしに、現代の女の子のリアリティがある。西田敏行も彼にしては抑え気味の演技で嫌味がない。センチメンタルに流れがちなドラマを、絶妙なセリフでリアルな話に留まらせる鈴木聡の脚本もなかなか見事だった。

 最終回を見終わって、「瞳」と「ケンさん」が、いつの日か結ばれるといいなあなどと単純に思っている自分にびっくりする。人間、変われば変わるものである。

 


 

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