58 「業者」は悪者か

2008.9


 もう十年以上も前のことだが、職員室に張り出された給料に関する掲示を見て、この手当は安すぎるだの、もっとくれてもいいはずだのと文句を言っていたら、神父様でかつ教師でかつ理事でもあったある人が、あんたねえ、お金のことでああだこうだ言うもんじゃないよと言い放ったことがある。

 ここまでズバリと言われると、さすがのぼくも言葉に詰まってしまって反撃できなかった。こういうことを後から思い出すと、こう言えばよかったとか、ああも言えたはずだとか、それこそ何十何百というセリフが頭の中にわいてきて、ちょっとした学園ドラマの一齣ぐらいにはなりそうな気がするものだ。

 まあ、カトリックの神父という、浮世離れした人間が、金にまみれたどろどろとした実生活に同情がないのは、むしろ当然のことではあろうけれども、普通の給与生活者としては、お金のことでああだこうだ言わないということは考えられないことなのであって、せめてそのとき、お金の心配のないアンタにそんなこと言われたくありませんよぐらいの啖呵は最低でもきっておくべきだったと悔やまれる。

 神父様はともかく、教師というのも結構浮世離れした人種で、案外本気で自分は金のために働いているんじゃないと思いこんでいるフシがある。

 それは教師がときどき見せる「業者」への反応にあらわれる。「業者」は結局金のためにやってるのだと決めつけるのだ。それならおまえだってレッキとした「業者」だろうとぼくなら思うのだが、どうもそうは思っていないらしい。それで露骨に「業者」を侮蔑するような物言いをするのだ。

 ペンキ屋の親方をしていた父が、学校の仕事は始末が悪いとよくこぼしていたのを思い出す。ペンキを塗りやすいように、ちゃんと片付けておいてくださいと頼んでおいても、出かけてみると、職員室などはまったく片付いておらず、塗る前にまず片付けからやらなきゃならないんだからなあと嘆いていた。片付ける分だけ時間を取られるわけだから、「業者」としては辛いのだが、教師の方は、そんなことは「業者」がやるさ、どうせ儲けているんだからとばかり余計な仕事を押しつけておいて、自分はきれいに生きていると思っているのだ。

 どんな仕事でも、仕事であるからには「金」がからむ。しかしまたどんな仕事でも「金」だけのためにやるわけではない。バカな教師はそのことに気づかない。自分だけが純粋だと思っているからである。

 


 

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