57 過去の資格

2008.9


 同窓会っていうのは、過去の資格によるものですからね、どうも嫌だなあ、と知りあいの精神科医は会うたびに言う。彼は、ぼくの中高時代の後輩にあたるから、いわば「同窓生」なのだが、同窓会は嫌いだと言うのだ。

 ぼくは、同期会の幹事をしているくらいだから、同窓会と言うものに対して否定的であるわけではない。同期会も隔年で開催していて、なかなか楽しい会になっている。中高時代を共にした仲間が、還暦を迎えようとしているこの歳になっても、まだ昔話に花を咲かせることができると言うのは、まあ人生の楽しみのうちのひとつだろうと思っている。

 しかし、彼が言っている「同窓会」というのは、そうした類のものではない。例えばある企業の中にある「同窓会」というようなもの。「○○会社栄光会」といったようなもののことを言っているのである。この場合、この会に参加するための資格は、栄光学園卒業生ということだけだ。逆に言えば、その資格がないと「絶対に」入れない。そしてその資格は、現時点でどんなに努力しても絶対に手に入れることはできない。つまり「過去の資格」なのだ。

 考えてみればこれほど理不尽というか、嫌らしいものはない。これほど閉鎖的なものはない。ただ過去の数年間、その学校に在学したというだけで、その資格は永久不滅のものとなる。本人が嫌だと思っても、その過去が消えるものではない。そういうものに依存したグループというものは、内部の人間にとってはとても居心地のよいものだが、外部からみると嫌らしくみえる。

 もちろん学閥というものもそこから生まれる。いわゆる有名大学に入ることに血眼になるのも、この「過去の資格」を手に入れたいがためという側面があるだろう。学閥による人脈がなによりの武器だという世界が確かにある。

 ぼくも都立高校に在職中は、東京教育大学の学閥「茗渓会」の一員だった。この「茗渓会」の嫌らしさは骨身にしみて知っている。都立高校をやめた理由のひとつにこの学閥から自由になりたいと思ったことがあるくらいだ。けれども、母校に戻ったことで、「OB教員」という見方をされることにもなった。けれども、ぼくは「OB教員の会」などというものを作ろうと思ったことは一度もない。

 グループは、いつも「出入り自由」が理想だ。だれでも自分の意志によって参加し、自分の意志によって退会できるグループ。そうでないグループはやはりどこか嫌らしい。

 


 

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