52 無防備すぎる

2008.8


 こう世の中が物騒になってくると、夜にウォーキングなどしていても、丸腰だとちょっと不安になってくる。といって護身用のナイフを忍ばせるなんていうのもかえって危険だから、せめて何か棒のようなものを持っているべきではないかなどと考えてしまう。座頭市の仕込み杖みたいなのなら最高にかっこいいが、まさかそんなものを持ってうろついていたら襲われる前にこっちが先に逮捕されてしまうだろう。

 せめて短い棒状のもので、さっと一振りすると三脚みたいにスルスルと伸びるようなものがあれば、それで相手のナイフを持った手をバシッとたたくとか、目をつつくとかすれば、刺されずにすむかもしれない。どこで誰がナイフを持って襲いかかってくるかもしれない今の世で、やはり丸腰というのは無防備すぎると思うのだ。

 無防備といえば、いつも不思議でならないのは、若い女性の履き物である。特に夏ともなると、ミュールというらしいが、スリッパのようなすぐに脱げてしまいそうなものをペタペタと音をたてて履いて、平気で電車に乗ったり街を歩いていたりする。そういうのを見るたびに、大地震がきたらこの子たちは真っ先に死ぬだろうなと思う。死なないまでも怪我は免れないだろう。

 割れた窓ガラスが散乱している道路をあのミュールで歩くことができるだろうか。真っ暗な店内で、迅速に非常口に向かえるだろうか。階段で転ばないだろうか。帰宅難民となったとき、家までの数十キロを、あのミュールで歩き通すことができるだろうか。次から次へと心配になる。

 彼女たちに言わせれば、お洒落も命がけなのよということなのだろうか。それとも単に想像力が不足しているだけなのだろうか。

 東京や横浜に生きるということは、常に大災害を頭に置いて、備えをしておくということである。周到な備えをしたって、運が悪ければ助からない。しかし、ちょっとした心がけで命が助かったり、怪我をしないですんだりすることもあるはずだ。

 とにかく、何よりも靴だ。できるだけしっかりとした底の、歩きやすい靴。少々走ったって、絶対に脱げない靴。踏まれてもあまり痛くない靴。そういう靴を履いてこそ、都会人なのだ。

 ある学校では教師のサンダル履きを禁じているらしい。その理由が、サンダル履きでは緊急のときに生徒を迅速に避難させることができないからだと聞いたときは感動し、それ以来、ぼくも学校でサンダルを履くのをやめた。


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