50 コップの中の嵐

2008.7


 大分県の教員採用や人事における不正事件の話題が連日世間をにぎわせているが、教師をやっている身からすると、どうにも不思議でならないことがある。

 何でそんなに教師になりたがるのかということ、これがまず不思議である。ぼくが教師になったのは昭和47年だが、そのころ教師になるなどと言ったら、それこそ不思議がられたものである。

 最初の勤務校となった都立高校に面接に行ったとき、そこの教師がぼくの履歴書に「栄光学園卒業」と書いてあったのを見て、「何で栄光まで出ているのに教師なんかになるの?」と真顔で聞いたものである。二番目の勤務校で、母親との面談の際だったが、「うちの子供は文学部に行くと言っているのですが、まあ、文学部に行っても学校の先生ぐらいにしかなれませんものねえ。」とこれもぼくを前にして真顔で言ったものである。

 ことほどさように、教師という職業は尊敬もされないし、憧れの対象になるわけでもなかったわけで、その事情は今でもちっとも変わらないと思っていたのに、教師になるために賄賂まで提供する世の中になっていたなんて、信じられない思いがする。まあ大分県あたりだと、あまり就職先がないから、教師などはいいほうなのだという話も聞いたが、それにしても「賄賂」とは驚く。

 さて教師になった後の昇進に躍起になるというのも、これまた不思議である。昇進といっても、たかだか校長になるとか、教育委員会に入るとかいったレベルで、それがそんなに「人もうらやむ地位」とは到底思えないのだ。これが、たとえば某省庁の次官になるとかいったことだと、事情が違うのだということを、この前の守屋とかいう防衛省の元次官が退職金を返還したというニュースで知った。その額、7700万円だというのだから、これなら「賄賂」などむしろ当然ではないかという気もする。そのまま無事に勤め上げれば、返還などせずに、更に天下り先も用意されていて、そこで更に退職金が、などと考えるだけで不愉快になる。それが、たかが教育界での昇進である。ばかげている。

 教師などというものは、昔から薄給と決まっているのである。薄給で、世間から尊敬もされない、清少納言流に言えば「木の端のように思われる」教師に敢えてなったのだからこそ、昇進などはとっくにあほらしいと捨ててかかり、自由な気分で、教育に携われるのではなかろうか。そうじゃなきゃ、虚しい。悲しい。悲しすぎる。


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