46 物欲亭主

2008.6


 ぼくは見なかったのだが、久米宏が司会をして今の20代の若者の生態を探る番組があったらしい。それによると、彼らは物欲がないから欲しいものがない、だからあまり買い物をしない。自動車も買わない。かつての若者なら誰でも憧れた「スカイライン」という車の名前すら知らない。遠くへ旅行もしない。だいたい半径(直径?)1マイルの範囲内で生活をしている。老後の年金が不安なので、とにかくひたすら貯金をしている。中にはネットの株取引で大もうけをし、年収100億円もありながら食事はカップラーメンですませている者もいる。まあだいたいそういう内容だったらしい。

 ぼくも歳とともに少しは枯れてきたから、最近は欲しいモノなんかねえやなんてふてくされることも多くなったが、それでもニコンのデジタル一眼の新機種はいったいいつになったら出るのだろうとか、日本でもとうとうiPhoneが発売になると聞けば、やっぱり買いたいなあとか、わくわくしてしまうことがまだまだある。

 これが若かったころときたら、それこそ物欲の権化だった。とにかく新製品が出るたびに欲しくて欲しくて、どうしてもその欲望を抑えることはできなかった。一眼レフのカメラ、ビデオ、オーディオ製品、ワープロ、パソコンなど挙げていけばきりもない。こうした機械類の他に、本・レコード・CDが加わるのだからたまらない。これらが欲しくなったら、それを手に入れるまで、買おうか、どうしようかとブツブツ呟き、家の中をうろうろしたりお店にでかけてみたり、とにかく落ち着かないことはなはだしく、家内もこれには手を焼いた。しまいにはとうとう切れてしまって、どうせ買うまでうるさいんだから、さっさと買えば! ということになり、その言葉をいいことに、いそいそと買いにゆく、ということもしばしばだった。まったく始末におえない亭主である。

 どうしてこういうことになったのか、ということについてひとこと言い訳すれば、ぼくが子供のころは、欲しいものがあってもなかなか買ってもらうことができなかった。そして時代の変遷とともに、次から次へと目覚ましい「商品」が生み出され、それによって世界が変わるのを目の当たりにした。その「商品」とともに、自分自身も変われるような気がしていたのだ、ということになるだろうか。それは錯覚だったのかもしれないが、でも幸せだった。

 今の若者は、せっせと貯金をして、それで幸せなのだろうか。


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