42 著作権は誰のため?

2008.5


 作者の死後50年を経過すると、その作品の著作権は消滅することになっているが、これを70年に改めようという動きがある。何でも欧米諸国はとっくに70年なのだということらしい。ぼくはこの話を聞いたとき、50年でも長すぎると思っていたくらいだから、70年なんてとんでもないと思った。そのことをある国文学の教授に話したところ、でもねえ、作家というのは生きている間は経済的に恵まれなくて、その間ずっとその奥さんが苦労をしているわけだ。例えば堀辰雄の奥さんなんて、何とか印税で暮らしておられたのに、突然50年経ったということで収入がゼロになってしまい、とてもお気の毒だ。70年だったらよかったのにと思うよ、と話してくださった。

 堀辰雄が亡くなったのは1953年だから、2003年をもって著作権は消滅したわけだ。奥様の多恵子さんは今年で95歳。堀辰雄は50歳で亡くなっているので、奥様は倍近く生きられたことになる。堀辰雄のように有名な作家でも、その死後、その著作が莫大な印税を生んだわけではない。現在、文庫本で手に入る堀の著作はごくわずかなものにすぎない。高齢の奥様を支える印税が急にゼロになるというのでは、確かにお気の毒である。

 しかし一方で、数年前、作家の三田誠広が、孫に印税を残せないようでは書く意欲を減退させられるというようなことを書いて、著作権の延長を訴えていたのを読んだときは、何をタワケタことを言っているんだと腹が立ったことも事実だ。作家も堕落したものだとつくづく思った。

 島崎藤村は貧乏の中で小説を書き続けたために子どもが餓死した。それが作家の心意気だなどとはさらさら思わないし、藤村はヒドイ奴だと思う。けれどもまた作家というものの業のようなものを感じて、身の震えるような思いもする。少なくとも、子どもを餓死させてまで書かれた小説の方が、孫に印税を残そうとして書かれた小説よりも信用できるような気がする。藤村とて、子どもの餓死にどれほど辛い思いを味わったかしれないからだ。それにひきかえ、孫に印税を残そうなんて考えて小説を書く作家に、壮絶なまでの人間の真実など描けるはずもない。

 著作権は、本人が生きている間だけ守られればそれでよいのではないか。百歩譲っても、その夫人が苦労を共にした場合に限り、その夫人の存命の間は守られるということでよい。子どもや孫にまで、そのすねをかじらせることはないのだ。


(注)最初の長編小説「破戒」が発表された前後に長女・次女・三女が相次いで病死。「餓死」というのはおおげさだが、栄養失調のための死といわれている。

 


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