39 パンダをまだ見ていないけど

2008.5


 上野動物園のジャイアントパンダのリンリンが死んだという。パンダが日本に初めてやってきたのが、まるで昨日のことのように思えるが、それから30年以上の月日が流れたことになる。あのとき、上野公園のまわりには長い行列ができたとテレビは伝え、その映像も流れた。行列といえば、モナリザが来日したときも、ミロのヴィーナスが来たときも、ものすごい行列が会場の外にできた。これも昨日のことのように思い出される。

 とは言っても、これらのいずれについても、その行列に加わったわけではない。そのころから既にヘソマガリだったから、へえー、物好きもいるもんだなあと呆れていただけだ。モナリザなんて、そんなに苦労しても、たった数秒しか見ることができないなんて聞くと、まったく貧乏人は嫌だねえ、何もそんな苦労しなくたって、パリに行けばゆっくり見ることができるじゃないの、なんて思っていた。

 もっともほんとの貧乏人は、ぼくのほうだったわけで、結局いまだにパリに行ったこともない。だからモナリザの本物も見たことはない。もちろん、ミロのヴィーナスだって見たことはない。

 モナリザもミロのヴィーナスも、二度と日本に来なかったが、パンダの方は、その後代替わりをしたとはいえ、上野にずっといた。そのうちみんな飽きて行列もできなくなるだろうから、そうしたら見に行こうぐらいの気持ちでいたら、30年以上もたってしまった。「そういえば、本物のパンダって、見たことある?」と、リンリンの死を報ずるニュースを見ながら、家内に聞いたところ、「ない」との返事。ぼくもない。

 一度も見たことがないのに、パンダなんてすっかり見飽きてしまった。パンダの出産まで見ている。もちろん、みんなテレビで見たわけである。これだけパンダをテレビで見た後に、本物のパンダを見て何か得るものがあるだろうか。

 テレビで見て、見たつもりになっていてはダメだ、本物を見なけりゃダメだとよく人は言うけれど、テレビで見ればそれで十分ということもある。そればかりか、それがどれだけ幸福なことであるか、一度よく考えてみたほうがいい。イグアスの滝とか、南極とか、深海魚の泳ぐ姿とか、それから宇宙から見た地球とか、火星の表面とか。今までまったく見ることができなかったものまで、テレビは見せてくれる。テレヴィジョンとは「遠くの映像をみること」という意味だ。この恩恵には十分に感謝しなければなるまい。


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