37 ローカル線の旅

2008.4


 前回のエッセイをアップした直後に、「国税庁長官を国税局々長に間違えるのは、あまり本気で妬んだりそねんだりはしてないからじゃない?」というメールが同級生の友人から届いた。

 あんまり官庁のことは知らないし興味もないから、うろ覚えのままに「国税局長」なんて書いてしまったのだろうが、言われてみれば確かに「国税庁長官」だったはずなのですぐに訂正をした。それと同時に「あまり本気で妬んだり、そねんだりはしてないからじゃない?」という言葉には、確かにそうかもしれないと思った。

 ぼくは幼いころからいたって覇気に欠ける人間で、小学生のころ、大人になったら何になりたいかという作文に、電車の車掌になりたいと書いたことがある。運転手はハンドルを操作しなければならないし、運転を間違えたら責任をとらなくてはならないから嫌だ。それより電車の後ろに乗って、のんびり外の景色を眺めていたいというようなことを書いたことまではっきりと覚えている。

 そういう人間だから、国税庁長官だの、金融庁長官だのといった「国家の要職」につきたいなどと思ったことは一度もない。(もちろんつけると思ったことも一度もないが。)そればかりか、学校の校長とか生徒指導部長とかいった管理職につきたいと思ったことさえない。都立高校に居続けると、いつかはそうした管理職につかざるを得ないような気がして、さっさとやめて、そういう気遣いのない私立校である母校に舞い戻ってしまったほどだ。

 人のうえに立って、命令したり、文句をいったり、指導をしたり、場合によっては自分の罪でもない部下の不始末のために記者会見で頭を下げたり、そういうことがとにかく嫌いで、そういう意味では、教師という職業も、いまだに心の底から好きにはなれない。

 そういうわけだから「長官」などを、本気で妬むなんてことはないはずなのだが、それでも「羨ましい」と思ってしまうのは、どうしてだろう。いくら覇気のない人間だとはいっても、人並みの「立身出世欲」というようなものは心のどこかにきっちり持ち合わせているということだろうか。なまじいくらか名のある学校で、優秀な同級生がゴロゴロまわりにいたばっかりに、こんな歳になっても、ついしなくてもいい「比較」をしてしまい、「羨ましい」などと思ってしまうことになる。情けないことである。

 比較は不幸の始まり。還暦まであと2年。のんびりローカル線の旅を楽しめばいいとするか。

 

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