36 レールが違う

2008.4


 一昨年だったと思うが、金融庁長官と国税庁長官と中小企業庁長官が、みんなぼくの栄光時代の同級生だったという時期があった。栄光学園というのは、昔から今に至るまで、1学年が定員180人という小規模校で、しかも中高一貫だから、全員一応は顔見知りで、会えばお互い「よう」とか「やあ」とか言う程度の間柄である。そういうかつて身近にいた人間が、日本を動かすような地位についているというのは、自慢できることなのかもしれないが、こちらの気分が滅入っているようなときには必ずしも愉快なことであるとは限らない。

 つい先日、目覚めのラジオで河島英五が「ねたま〜ぬように〜、あせら〜ぬように〜、似合わぬことは無理をせず〜」と歌っていたが、「似合わぬことは無理をせず」なんて、ぼくなどは努力しなくても自然とそうなってしまうが、「ねたまぬ」「あせらぬ」はまず無理な話である。それどころか、ぼくの人生は「ねたみ」「ひがみ」「あせり」の三重奏であると豪語してもよいくらいのものだ。

 まあそういうわけだから、その時期、妙に気が滅入っていたある日、国語科研究室で、「あ〜あ、昔は机を並べていたのに、どうしてこうも違った境遇になってしまったんだろう。どこでレールのポイントが切り替わったのかなあ。」とブツブツ愚痴を言っていたら、それを聞いたある教師が、「ヤマモト先生、それはですね、もともとレールが違うんですよ。」とポツリと言った。

 目から鱗が落ちた。

 そうかあ、レールが違うんだ。品川あたりで、新幹線と東海道線が並んで走っているのを、レールが同じだと勘違いしていたようなもんだね。なるほどねえ、と感嘆しきりのぼくであったが、今でも、その言葉がしっかりとぼくの中に根付き、「ねたみ」「ひがみ」「あせり」に傾きそうになったときの心の支えとなっている。

 レールが違うのなら仕方ないもんねえ、まったくよく言ったもんだと、折にふれ仲間の教師にその話をしていたら、去年だったか、それを聞いたある神父が「じゃあ、先生は、ローカル線ですね。」と、神父らしからぬ(あるいは極めて神父らしい)ことを口走った。せめて東海道線か横須賀線だろうと思っていたのに、ローカル線とはおそれいった。トドメをさされたといったところである。

 最近では、おれは、赤字で廃止が決まっている第3セクターだからさ、と周囲に言いふらしている始末。

 新幹線は今頃どこを走っているのやら。

 

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