32 帰りたくない

2008.3


 幼い頃というのは、世界を感覚で理解するから、それだけ記憶も鮮明になるんだよね。それが勉強なんかして理性が発達してくると、とたんに頭で物事をとらえ、モノを感覚的にとらえることがガクンと減ってしまう。せっかく頭の上に素晴らしい夕焼けが広がっていても、君たちはその夕焼けを見ようともしない。そんなふうにして大人になってしまうと、人生はとてもつまらないものになってしまうよ。

 なんてことを3学期の小説の授業のときに話した。そう話しながら、それにしても、幼い頃の感覚というか感情というか、そういうものは、やはりもう二度と戻らないということも痛感していた。

 幼稚園に行っていた頃、あるいはもっと小さい頃だっただろうか、近くの野毛山遊園地や野毛山動物園に親に連れて行かれたことが何度もあるが、その度に「帰りたくない」と言って泣き騒ぎ、親を辟易とさせたことをよく覚えている。特に、家の近くのバスだか市電だかの停留所に降り立ったときが無性に悲しくて、「うちに帰りたくない。もう一回行く。」と言って、地面に座りこんだり寝ころんだりして、足をバタバタさせて、泣きに泣いた。ほんとにお前をどこかに連れて行くとこれだからいやだと、父も母も心底うんざりしてため息ついた。「ほんとにお前は後をひく子だ。」という言葉も耳にしたことがあるような気がする。あの辛さは何だったのだろうか。

 ああいう感情というか、一種の情熱というか、それはもう絶対に今のぼくにはない。「帰りたくない」とつくづく思ったことなんて、大人になって一度もない。長い旅から帰って、家の前に着いたとたん、「ああ嫌だ。もう一度、旅に戻りたい。」などと思ったこともない。そればかりか、ちょっとした小旅行(最近はこれすらめったにしないが)でも、出かけたとたんに、すぐに帰りたくなってしまう。

 いったいどうしたことだろうか。人間があっさりしてしまったということなのだろうか。

 しかし、家の近くに帰ってきて、嫌だ、もう一回行くんだと言って泣くというのは、どうも、異常だ。少なくとも、ぼくの二人の息子はそんなことはなかった。あんなに「帰りたくない」と思ったのは、遊園地や動物園が楽しかったからということもあるだろうが、「家」が、幼いぼくにとっては楽しくない場所だったのかもしれないと最近思ったりする。

 幼い日々の感情は、美しいだけではなく、なかなか複雑なものをはらんでいるようである。


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