31 半永久的

2008.3


 半永久的に飛び続けるヘリコプターが開発されたというニュース。小さな模型のヘリコプターで、搭載した太陽電池に地上からレーザー光線をあててやると、半永久的に飛び続けるのだそうで、災害時の状況の映像撮影などに利用することができるとのことだったが、「半永久的」という言葉にひっかかった。

 「半永久的」と言われると、何にもしなくてもずっと飛び続けるというイメージをどうしても持ってしまう。しかしこのヘリコプターには地上からレーザー光線をあててやらなければならない。いちいち地上に降りてきて、燃料補給やら充電やらをしなくても、空にいるままでずっと飛び続けることができるということを言いたかったのだろうが、それにしても「半永久的」というのはいかがなものか。

 「半永久的」という言葉を最初に印象的に読んだのは、CDが世に出てきた時だった。今では見かけないが、そのころのCDのジャケットには、これはコンパクトディスクというもので、手入れをきちんとすれば、音楽をほとんど「半永久的」に楽しむことができるであろうといったようなことが書かれてあった。このどことなく厳かな響きのある文章からは、開発者の喜びと誇りが感じられ、それを読むたびに、そうかあ、これでもうレコードに傷をつけないようにとか、カビが生えないようにとか、そんな心配から解放されて、いつまでもきれいな音で音楽を聞くことができるんだという深い感慨に浸ったものだ。

 それにしても「半永久的」というのは、よく分からない言葉だ。「永久」の半分なのか。そんなことは数学的に(?)ありえない。「永久」と言い切りたいが、どこか自信が持てないので、「半」をつけたのだろうか。ひょっとしたら、壊れる時がくるかもしれない。それが1年後か、100年後か分からない。たぶん、「永久」だろうけど、その時は勘弁してください、ということなのか。しかしまあとにかくその言葉には夢があった。

 今ではそのCDも簡単に劣化することが明らかになり、どこにも「半永久的」などという文面はなく、勝手にコピーするなとか、貸し出し業に使うなとかそんなセチガライことしか書かれていない。

 それとともに、ひとつの音楽を「半永久的」に楽しもうというような態度自体が消えた。音楽は消費するものとなってしまった。つまらない時代になったものだ。半永久的なヘリコプターも、災害時にこき使われるだけで、夢を運ぶものではなさそうだし。


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