25 自分の声

2008.2


 新しいものにすぐに飛びつくのが習性になっていて、それは今更もうどうにもならないが、それを辛うじて食い止めているのが「金」で、したがって「金」がかからないとなると、もう歯止めがきかない。

 ポッドキャストというものがある。簡単にいえば、個人の放送局のようなもので、ラジオ番組を自分で作ってインターネット上に公開してしまうというものだ。そんなことしたら莫大な費用がかかるのではないかと思われるかもしれないが、実際にはタダでできる。もっともパソコンとマイクだけは必要だが。

 ラジオ番組といっても、何も本格的なものではなく、「朗読」だけでもいいわけである。ことのきっかけとなったのが、落語などをダウンロード販売している「ラジオデイズ」というサイト。ここで詩人の清水哲男が、寺田寅彦と吉田健一のエッセイを朗読しているのを知って、購入して聞いてみた。清水はかつて実際のラジオ放送もやっていたということもあるのだろうが、渋い声の朗読はなかなか素晴らしかった。プロのアナウンサーでなくても、それなりの味があればいいんだなあと思っているうちに、自分でもやってみたくなってしまった。「ラジオデイズ」のコピーは、「声には、人の体温があり物語がある。」というもの。この言葉にもひかれるものがあった。

 しかし、誰でもそうだと思うが、自分の声というのは、嫌なものである。自分の声を録音して、それをウットリ聞けるなんて人間がいるとは思えない。ぼくも、自分の声は嫌いだし、話し方も嫌いだ。教師になりたての頃、授業技術の向上のためと思って自分の授業を録音したことがあるのだが、一度聞いたら寒気がして、二度と聞けなかった。以後、授業を録音したことはない。

 自分の声は嫌だ、でも、ポッドキャストは作ってみたい。この間で心は揺れたが、とにかく試しに作ってみることにした。結局は好奇心が勝ついつものパターン。新しく買ったものはマイクだけだ。著作権の問題がまったくない自分のエッセイを録音して、ポッドキャストとして公開するという作業は、あっけないくらいに簡単だった。技術の進歩はほんとにすごい。

 しかしラジオと違うのは、これを聞く側に、ちょっとした知識が必要だということだ。これがネックになっていることも分かってきた。しかしこれもおいおい解決してゆくだろう。

 問題は自分の声にどれだけ耐えられるかということだ。こちらの方が大きなネックであることは間違いない。


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