16 「砂時計の時間」と「チューブの時間」

2007.12


 たしかヴィスコンティの映画だったと思うのだが、老教授のような人物が、部屋に置かれた砂時計を見ながら、時間について語る場面がある。

時間はあの砂時計のように流れる。計り初めのころは、上にある砂はいつになっても減らないように見える。けれども、上の砂が半分ぐらいになったとき、ふと砂が減っていることに気づく。それに気づいた後は、こんどは砂はみるみるうちに減っていく。そしてあとわずかとなったとき、砂は怖ろしいまでの勢いで落ち、あっという間に落ちきってしまうのだ。

 昔見た映画なので、教授の話がこのセリフの通りだったのか、また老人が果たして教授だったのかどうかも定かではないけれど、まあ話の趣旨はこのようなものだったことは間違いない。つまり、若い時代というのは、時間が無限にあるように思えるが、老人になるとその時間が怖ろしいスピードで過ぎてゆき、あっという間に人生を終えてしまうのだ、ということだ。

 若いころにこの映画を見て、この場面が強烈に印象に残り、なるほどそういうものかといたく感心して、授業の時などにもよくこの話を引き合いに出しては時間について語ってきた。そして自分がだんだん歳を重ねるうちに、ますますこの話が現実味を帯びて身に迫ってくるのを感じていた。

 ところで、チューブに入っている薬とか練り歯磨きを使っていて、ずっと前から気になっていたのは、もう中身がないんじゃないかと思うぐらい平らにつぶれているチューブでも、力を入れて押しつぶすと必ずなにがしかの中身が出てくるということだ。結構力がいるので、いい加減に新しいものに切り替えたいと思っても、何だかまだ出てくるような気がして、平たくなった部分をくるくる丸めたりして押しつぶすと、やっぱり出てくる。それでも出てこないとようやく諦めることになるが、これが絵の具などだと、チューブをナイフで切り開いたりしてみるとまだまだ結構残っているものだ。

 先日もそうやって水虫の薬をチューブからひねり出しながら、ふと「砂時計の時間」のことを思い出した。そして、今まで、この例えを絶対的なものと思ってきたけれど、案外あてにならないんじゃないかと思った。ひょっとしたら、人間の時間はこの「チューブの時間」かもしれない。中身がいっぱい詰まっている時期は案外短くて、ほとんどなくなりかけてからが延々と長い……。還暦が視野に入ってきた身としては、嬉しいような怖いような話だが。


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