13 ギリギリのところ

2007.11


 この前の授業で、トンボが車のボンネットに卵を産んだりしてバカだよねえなんて話をしたら、どこのクラスだったっけ、先生の頭にも産みましたか? って聞いたヤツがいてね、といったら、あ、それぼくです、って顔を赤くしてニコニコ笑いながらひとりの生徒が手を挙げた。

 あれはなかなかよかったね。水面・車のボンネット・ハゲ頭というつながりが絶妙だ。もしぼくの頭にトンボが卵を産もうとしたら是非写真に撮りたいなあ。すごい傑作になるね、きっと。

 でもあれがあのとき大笑いになって、えらくうけて、ぼくもおおいに笑ったけれど、だからといってああいうことがいつも笑いになるとは限らないということは知っておけよ。つまりあれが大笑いとなったのは、いわれたぼくが、度量の広い、柔軟性に富んだ、しかもハゲているということにちっともコンプレックスを感じていない人間だからであってね(といいながら、正確にはコンプレックスを感じないように努力をしてきてほぼ達成しかかっている人間ということかなあと思いつつ)、これがそうじゃない人間の場合は刺されるかもしれないよ。気をつけたほうがいい。基本は、身体的なことに関しては、あれこれいわないことだね。

 ぼくの場合は、笑えれば何でもありなのだが、世の中には冗談の通じない人というのもいて、また、こと体のことに関しては、他人の想像も及ばないコンプレックスを抱いている人も多いから、お笑い芸人ならぬ教師としては、いちおう釘をさしておかねばならないのである。

 笑いというのはほんとうに微妙なもので、大笑いとなるか刺されるかのギリギリのところでのせめぎ合いがいつもある。ハゲ頭にトンボが卵を産むというイメージは、ぼくは気に入っていて、もしかしてほんとうにそういうことがあるかもしれないから、来年の夏はトンボのいる道に立っていようかしらと思うくらいだけど、そういうイメージを思い浮かべるいとまもなく、ハゲを指摘されて激怒する人間も多分いるだろう。それでなくてはアデランスだのリーブ21だのが、あんなにもうかるわけがない。

 お笑い芸人に限りなくあこがれるぼくとしては、ことあるごとに「うけ」をねらってギャグを連発しているが、時として、しまった、いうんじゃなかったと後悔することもある。ギリギリのところでいつも踏みとどまっているつもりだが、一線を越えてしまったのではないかと思うこともあるのだ。笑いの道も厳しいものである。


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