9 ひとり

2007.10


 「個」よりも「ひとり」を、と山折哲雄がいっていた。面白いと思った。

 「個」あるいは「個人」というのは、あくまでも翻訳語で、英語ではindividualまたはpersonalという語にあたる。いずれも「社会に対しての個人」「公共に対しての個人」あるいは「動物に対しての人間」などの意味合いが強い。集団の中で、それとは別個に確固として存在する人間というようなものが、多分「個人」ということだろう。

 それに対して「ひとり」は、かなり情緒的な言葉である。辞書によれば「一個の人。また、他を伴わない自分だけ、複数の中の一個人をいう。ただひとり。」というような説明があり、さらに二番目には「夫または妻のないこと。独身。ひとりみ。また、一時的に配偶者などが不在の時にもいう。」とある。山折氏は、万葉集の「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」という歌を挙げているが、この「ひとり」には「恋しい人と離れたさびしさ」の感情が込められている。

 つまり「ひとり」のなかには「不在」があるということだ。それをさびしいと感じるか、自由と感じるかは、そのときどきであろうけれども、英語のindividualやpersonalには、そうした感情的な意味合いがほとんど感じられないのと比較すると、随分大きな違いがあることが分かる。

 「個の確立」というとき、人は、自分自身を顧みて、自分を高め、自分を豊かにするために努力するという方向に向かう。しかしこの「個人」を「ひとり」に置きかえ、「ひとりの確立」とはいえない。「ひとり」という語を使うときは、「ひとりになる」あるいは「ひとりでいる」という方向へと向かってゆく。

 ここで思い出すのが「ひとりでに」という語だ。この語は「他から力が加わることなく、その物や事態の中に隠れている力で、ある動作が行なわれたり事態が変化したりしていくさまを表わす語。」ということになるのだが、人は「ひとりになる」「ひとりでいる」と、「ひとりでに」自分の中に隠れている力が出てくるというふうにも考えられる。

 自分という存在を、自分の力で作り上げようとする「個」と、自分の中に隠れている力をわきださせる「ひとり」。

 ひとりで野に出る。ひとりで山に向かう。そこには、「個人主義」などという思想の入り込む余地はない。親しい者の不在を感じつつも、自然の中に己を開いていく人間の姿があるばかりだ。


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