99 きっかけは友のひとこと

2007.8


 大の書道嫌いだったぼくが、書道を習ってみようかと思ったきっかけは、実はいろいろあってなかなか一つに絞ることはできない。

 しかしかなり大きなきっかけとなったのは、数年前、中高時代の友人がぼくにくれた1通のメールである。確か3年ほど前のことだ。在学中はあまり親しくつきあったことのない友人、関口哲平という男が、自分の高校時代に学校の作文コンクールで入賞した覚えがあるのだが、その作品が載っている入選作品集のコピーを送ってくれないかと頼んできたのだ。彼はいろいろな経歴を経て作家として本格的にデビューして活躍し始めた矢先に、不幸にして癌におかされ、2年前に亡くなったのだが、余命短いことを意識して、昔の自分を振り返りたくなったのだろう。ぼくは学校でその作品集を探し、手紙を添えて彼の文章のコピーを送った。

 そのお礼のメールに、彼はこんなことを書いてくれたのだ。

それにしても貴兄の文字は素敵です。パソコンなど使わずに、生の文字で、どうですか、鎌倉時代の御家人小説でも書いてみませんか。…枯れた繊細な文字で、枯れた御家人の話など、いかがですか?(メール全文は下にあります。)

 ぼくは自分の字にコンプレックスを持っていたので、ときどき「味のある字じゃないの」などと言ってくれる人がいても、ハナから信じなかった。しかしこのメールは嬉しかった。改めて自分の字を眺めても、相変わらず下手くそな字だったが、はじめて字というものに興味を持った。文章をパソコンで書くようになってから、もう字などというものは手で書くものではないとすら思っていたぼくには、この言葉は新鮮に響き、そしてかすかな勇気を与えてくれた。

 この頃から手で字を書くことが何だか面白くなってきた。ときどき筆ペンでメモをとったりして、同僚の目を白黒させたのもこの頃である。そのうち中国や日本の古典的な書に興味を持つようになった。

 さまざまな古典的な書を集大成した200冊を超えようかという全集が国語科の研究室には以前からあったのだが、それまでのぼくにはただ邪魔なガラクタにしか見えなかったのに、その頃から、それが宝の山に見えてきた。休憩時間に国語科研究室で、そうした全集の一冊一冊をしげしげ眺めるぼくの姿も見られるようになり、ますます同僚たちは、不思議そうな目でぼくを見るようになった。

 そして、ぼくはわずか1年足らずで、すっかり書道好きに変身してしまったのだった。


◆「関口哲平君のメール全文」(掲載許可は得ることはできないけれど、許してくれるでしょう。)

山本様

昨日、感想文が届きました。我ながら、あの若さで、あれだけ真摯な迫力のある文が書けたことに驚いています。いまさらながら、文筆に生きようとする者は、人に受けようなどと努々思わず、外連味のない文を書くことこそが肝要と思いました。
食道癌の高見順に、17歳の若者が己を重ね合わせる凄さ、そして干支が三周りしたときに、まさしく将来を予見したかのように、年を経た若者は文士の端くれに座り大腸癌を患った自分を見つめている…。人生は深く、また想像を絶するほどに、演出されているとしか思えません。その演出家を、もしかしたら神というのかも知れませんね。

それにしても貴兄の文字は素敵です。
パソコンなど使わずに、生の文字で、どうですか、鎌倉時代の御家人小説でも書いてみませんか。オール読み物新人賞は80枚、編集局長は栄光12期の笹本さんです。江戸はもう飽きられてます。これからは、時代小説は鎌倉〜室町ですよ。
枯れた繊細な文字で、枯れた御家人の話など、いかがですか?

関口哲平

 


(注)関口君のメールに出てくる「笹本さん」は、ぼくの4期上の生物部の先輩で、ぼくが中1で生物部に入ったとき高校2年生。いろいろとお世話になった人です。卒業以来お会いしていませんが、懐かしい人です。


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