100 はぐれ教師の教育論?

2007.8


 大学の教育学部に在籍しているある卒業生が、夏休みの課題で恩師と教育について討論してそれをレポートせよというのがあるので、お願いしたいと言ってきた。正面きって教育について論じるというのはあんまり得意じゃないけど、まあ他ならぬ教え子の頼みとあっては断れない。で、先日自宅で「討論」を行った。討論といっても、実際には彼の質問に答えるという形だったので思ったより楽だった。以下はそのほんの一部。

 教育とは何ですか?

 ずばり言えば、感化。だから学校だけが教育の場だということじゃないんだ。学校なんか行かなくても、漁師の父に感化されて一生漁師をやって、それで苦しいことはあっても、楽しい思いもして生きてこれたならそれでいいわけでしょ。学校なんて本当はなくてもいいんじゃないかという所から出発しない教育についての議論はすべて無効だよ。

 今までの教師生活を振り返って、ご自分の方法論をどう評価しますか?

 ぼくはねえ、まったくそういうことは考えないなあ。ぼくには決まった方法論はないし、興味もない。だからその類の本も全然読まない。くだらないんだもん。授業というのはライブだから、その時その時で変化するわけ。同じ教材をやるにしても、昔のノートなんて絶対見ない。第一捨てちゃうからね、ノートなんて。その時、自分がどう感じるか、生徒はどう感じているか、それを無視した授業なんて意味ないよ。

 現在の「教育改革」について。

 教師を忙しくするだけの「改革」はダメ。教師から夏休みを取り上げてどうするんだ。教師は暇じゃなきゃダメなんだよ。ぼくが暇だから、こうやってゆっくり君と会って話もできるわけだしね。

 教師志望なんですが。

 やめたほうがいいと思うよ。今の教師を取り巻く環境はまったく「やってられない」からね。でも、生徒は昔と変わらずにそこにいて、教師を必要としているわけだから、ほんとうは、やめろなんて口が裂けても言えないはずなんだ。環境は厳しくても、授業にはまだ「自由」がある。そこで戦う覚悟があるなら是非がんばってほしいと思う。

 A君に、洋三先生と教育について討論してくるといったら、あの人はまともなことは言わないから、他の先生がいいんじゃないのと言ってましたけど、他の先生は忙しくてなかなか会えないんですよね。でも結構ためになりました。

 まあそれならいいけど、Aの言うことは当たってるよ。おれはほんとにはぐれ者だからね。

 

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