96 57の手習い 

2007.7


 57歳になったころから、つまり去年の秋から、書道を習いはじめた。

 と書けば、何でもないことのようだが、ぼくにとっては実に画期的な出来事なのである。それというのも、今までいわゆる「習い事」というものをほとんどしたことがなかったからなのだ。大学生のころに、剣道とアーチェリーをそれぞれ数ヶ月習ったことはあるのだが、いずれも本格的にはじめる寸前でやめてしまったので「習った」とはいえない。囲碁は家内の父に教えてもらったが、何年やっても強くならないまま今に至っているし、月謝を払ったわけでもないので、「習い事」には数えるべきではないだろう。

 水彩画をずっと描いてきてはいるが、家内の父に何度も「ちゃんと先生に就くべきだ」と言われてきたけれど、どうしてもそういう気にはなれず、結局「自己流」でやってきた。先生に就いても長続きしないことが、我が身を省みてあまりにも明らかに思えたからだ。

 「習い事」をすること自体がぼくにとっては極めて異例のことであるのに加えて、それが書道だということは、まさに青天の霹靂とでもいうべき異例中の異例、現代の珍事ともいうべきことであった。なにしろ勤務校の国語科教師の中では、ぼくは極端な「書道嫌い」で通っていたのである。「字なんてものは、うまく書く必要はないんだ。読めればいい。そもそも、もう手書き自体が古い。ワープロで書く時代なんだ。」というようなことを公言して憚らず、筆順などというものも、書道から来ていることだから、気にすることはない。第一ワープロで文字を打つときに筆順が何の関係があるのだなどと同僚にくってかかったりして、相手を辟易とさせていたのだ。

 そういう人間が突如、書道を習いはじめたのだから、仲間の教師は目を丸くして驚いた。習いはじめる少し前に、戯れに筆ペンでメモを書いているところを見たある国語教師などは、「ヤマモトさんが筆ペンを持ってる!」とまるでパンダがマグロを食べているのでも発見したかのように驚いたものだ。だからぼくが「書道教室」にちゃんと通っているということは、ほとんど信じられないこととして受け取られたとしても無理はない。

 「男子三日会わざれば刮目して見よ、というじゃないか。人間どう変わるかわかったもんじゃないんだよ。」なんて言って結構いい気分ではあったが、実際には、ほんとうに書道の世界に縁があるのだろうかと自分でも信じられない思いだったのである。


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