95 蟻と宇宙

2007.7


 夏休みともなれば、さてどこに旅行に行こうかと誰でもが考えるらしい。今年の夏も海外への旅行者は250万人にもなるとか言われている。この250万人という数が果たして多いのか少ないのか、実はちっともわからない。

 一般企業のサラリーマンにとっては、相変わらず夏休みといってもせいぜい1週間ぐらいのところらしくて、ぼくのような教師の1ヶ月以上などというのは、ほとんど夢のようなことであるらしい。しかし夢を見ている本人はそれが夢だと分からないもので、ぼくなんかはいくら休みが多くても別に「夢のようだ」とすら思ったことがない。ただ基本的に家にいることが好きなので、「学校へ行かなくていい」ということに幸せを感じることは確かだ。

 熊谷守一という画家がいて、この人はある時期から病気のために家から外へ出られず、庭に植えた草木やら、庭に来る小動物を眺めたり、それらの絵を描いたりして暮らしていたという。その熊谷守一が庭を歩いている蟻をずーっと見ていて、ふとあることを発見した。止まっている蟻が歩き出すとき、まず右側の真ん中の足から歩き出すというのだ。(正確には覚えていないが確か「右側の真ん中」だったと思う。)このことを何かの本で初めて読んだとき、非常に驚いた。

 どの蟻もまったく同じ順序で足を動かすという事実(といっても、ぼくはまだそれを確かめていないから「事実」といっていいのかどうかわからないのだが)もさることながら、そういうことを発見したということに驚いたのである。

 暇人といえばそれまでだが、そういうことを発見できるということは、「いったい蟻というものは、6本の足のどの足から歩き始めるのだろうか?」という疑問を熊谷翁が持ったということだ。そのような「疑問=意識」を持たない限り、絶対に、そう絶対にそういう「発見」はできない。漫然とただ蟻を眺めていただけでは、そういう蟻の足の動きは目に入らないのだ。事実、ぼくは子どものころから、何度蟻の行列を眺めてきたかしれないが、一度として蟻が「右側の真ん中」の足から歩きはじめたのを見たことがない。

 「限られた一が、そのまま無限の全体であることに、気がつかなくてはならぬ。」と鈴木大拙は『東洋的な見方』という本の中で言っている。「蟻」がそのまま「無限の宇宙」だということだ。

 海外に出かけることも、庭を眺めることも、実は同じことだということ、これほど忘れられている思想は少ない。


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