94 笑いも変わる

2007.6


 先日テレビでドリフターズの特集があった。昔懐かしいコントの数々を見ながら、改めて時代の移り変わりを実感した。

 コントの設定は、その時代の風俗をよく反映するものだが、これほど「古い」と感じるとは思わなかった。例えば「忠臣蔵」の討ち入りの場面。このコントが放映された当時は誰もがこの場面が何であるか疑う者はなかったはずだ。けれども今の中学生や高校生がこれを見ても、おそらく何のことなのかさっぱり分からないということになるだろう。

 四十七士を5人で演じる。つまり、カメラの前を同じ人間が何度も繰り返して通過することで47人がいるように錯覚させているのに、いつの間にかカメラが引いてしまってバレてしまうというオチのコント。その「手法」は意外に新鮮で笑えるのだが、若い人たちは、いったいあの変な格好をした侍は何なの? と聞きたくなることだろう。

 そういえば、小学校の5年か6年のころ、クラスの学芸会のようなことがあって、この「忠臣蔵」の討ち入りの場面をやったことがある。ぼくは大石内蔵助の役をちゃっかりとって、どこからか持ってきた陣太鼓を打ちながら、友達が降らせる紙の雪を浴びながら一瞬大石内蔵助になったような気分になってウットリした記憶がかすかにある。今時の小学校の「お楽しみ会」でこんなことをやるとは想像できない。

 ところで、時代を感じたもうひとつのことは、コントを見て笑う観客の年齢層だ。スタジオにいて、とにかく何をやっても笑う客を業界では何と称しているのか知らないが、ドリフの場合はほとんどが「オバサン」である。近頃のお笑い番組やバラエティーにはこの「オバサン」はまず出ない。かわりに登場してきたのが「ギャル」というのも古いが、そういうしかない「若い女性」たちの群れだ。

 おそらく「いいとも」あたりからではないかと思うのだが、この「ギャル」たちは、「必要以上に笑う」「過剰反応」という「コンセプト」においては、かつての「笑いオバサン」と何ら変わるところがない。ただちょっと違うのは「オバサン」は、「ああ〜」とか「ああ、ああ〜」とか頷きながら笑っていたのに、「ギャル」はほんとに常識的なことに対しても「え〜っ!」と驚くことである。

 芸人が「オタマジャクシは、何と、カエルになるのです!」と叫ぶと、「ギャル」たちが声をそろえて「え〜っ!」と驚くような時代が、もうそこまで来ているような気がするのだが、杞憂だろうか。


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