90 学問という道楽

2007.6


 子どもというものは、たいていは勉強嫌いで遊び好きである。嫌なもの、つらくて苦しいもの、でもやらなくちゃいけないもの、それが子どもにとっての勉強というものである。

 どうしてなのかといえば、子どもの勉強には試験がつきものだからだ。勉強したことを、試験され、点数をつけられる。点数が悪ければ、親や先生に叱られる。ひどい場合は、落第してしまう。これで勉強が好きになるわけがない。そもそも「勉強」というのは、「強いて勉める」ということ、つまりは「無理してやる」ということに他ならないわけだから、商売人が「勉強しまっせ」というのも、商売を研究しますよと言っているのではなくて、「困るけど無理してオマケしちゃおう」と言っているのである。

 生徒に向かって、だから君たちにとって勉強というのは、つらく苦しく嫌なものなわけだけど、それはまあ、高校までのことだ。あとは勉強というのは面白くてたまらないものになる。どうしてかというと、大学に行けば、好きな勉強だけすればいいからさ。更に、大学を出てしまえば、勉強しても試験がないから、もっと面白くなる。だからまあ、今はつまらないし嫌だろうけど、我慢してやることだね。そのうちぼくみたいになれるよ。ぼくなんかもう勉強が面白くて面白くてたまらないもんね、なんて言うと、中学1年生たちは、ほんとかなあなんて顔をしている。

 ほんとかなあと思う気持ちもよく分かるが、中学高校と、ちっとも勉強しないで遊んでばかりいたのに、大学に入ったとたんにもう勉強に夢中という者を何人も知っている。人はそれを信じられないことのように言うが、しかし、「勉強=学問」というものは、なまじの遊びなんて及びもつかない究極の道楽なのである。これにはまったら、二度とまともな生活には戻れない。

 昔から、飲む・打つ・買うというが、そういう遊びはおのずと限度というものがある。そのどれをとったって、金と、そして体力が必要だ。ところが、読む・知る・書くなんていう方面は、限度がない。金もそれほどかからないし、体力もそこそこあればいい。これでは歯止めがかからない。

 その道の大家と呼ばれる人は、職人でも芸人でも「死ぬまで勉強です」と必ず言うもので、それを聞いた人は、そうか大変なんだなあとしきりに感心したりもするのだが、そうではない。「死ぬまで勉強をやめられない。それほど面白い。」ということなのだ。感心することはないのである。


Home | Index | Back | Next