88 デュフィが好き

2007.5


 『ぼくの美術手帖』(原田治著)という本を読んでいたらこんな一節に出会った。

デュフィの絵画は、素描に近い描線と、新鮮で軽快な色彩に特長があります。軽妙さこそフランスのエスプリの真髄であるのに、かつて同じ軽妙洒脱を愛した我国で、いまだに充分な評価を得られないのはなんとも不思議な気がいたします。深刻さや苦渋を持つ絵画ばかりをありがたがるのは、片手落ちというものです。

 デュフィ──懐かしい画家である。父の美術全集を眺めているうちに、最初に心惹かれたのがこのデュフィだった。高校3年のころだったと思うが、このデュフィの展覧会が銀座の「日動画廊」で開催されるという記事を目にしたぼくは、銀座というのがどこにあるかわからず、まして「日動画廊」がどこにあるか見当も付かなかったので、美術の先生の所に行き「日動画廊にはどうやって行けばいいのですか。」と聞いた。何を見にいくのかという先生に「デュフィです。」と答えると、先生は「ホー」というような声ともつかぬ声を発して珍しいものでも見るようにぼくの顔をしげしげと見た、というような記憶がある。デュフィとはまた趣味のいい奴だと感心したのか、それともデュフィなんかに惚れたのかと呆れたのだろうか。

 そのデュフィも最近ではとんと人気がなくなったのか、展覧会もあまりないようである。原田氏の言うように「いまだに充分な評価を得られない」ということなのだろうか。同じように洒落ていて知的な画家であるクレーの場合は、ドイツ人だからというわけでもないだろうが、例えば吉行淳之介などがぞっこんだったりしてファンも多く、「クレーが好き」と言えば、それこそ「ホー」と感心される度合いが圧倒的に高いが、「デュフィが好き」というと、どうも「こいつシロートだな」といったようなサゲスミの眼差しが投げかけられそうな気がする。それが「深刻さや苦渋を持つ絵画ばかりをありがたがる」日本の風潮ということなのだろうか。

(「ばら色の人生」という絵を)デュフィ展で見た時、ぼくは世の中でこんなに幸福だった画家はそういないだろうと思いました。もし自分が生まれ変わって画家になれるなら、デュフィのような才能を持った画家になりたい。

 そう原田氏は述べているが、同感である。ゴッホやセザンヌだけが画家ではない。深刻さのかけらもない、ただただ楽しげなデュフィの絵は、その圧倒的な幸福感でいまだにぼくを魅了し続けている。


デュフィ=(ラウル・デュフィ Raoul Dufy)1877〜1953 フランス人画家。

クレー=(パウル・クレー Paul Klee)1879〜1940 スイス生まれのドイツ人画家。


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