84 自慢話

2007.4


 こんなジイサンではパソコンなんて使えないだろうと君たちは思っているかもしれないけど、いいかい、自慢じゃないけど、と前置きをしておいて、この学校で初めてワープロで試験問題を作ったのはぼくなんだよ、と言うと、すかさず生徒のひとりが、自慢じゃないですか、と突っ込みを入れてきた。おおなかなかいい突っ込みだなあと言ったかどうか忘れたが、中学1年生の初授業のひとこまである。

 「自慢じゃないけど」と言って話す場合は、たいてい自慢だよね、「自慢じゃないけど」の「ない」は否定の意味だよね、と同僚の国語学の専門家に確認すると、そうです、「せわしない」の「ない」は否定じゃありませんけど、と言ってから、小学生の頃、ぼくが「せわしい」と言ったら先生が「せわしない」ですよというので、「せわしない」も「せわしい」も同じ意味ですと反論したら、そんなことはありませんと言い張るので、辞書を見せて、ほら「せわしない」を引くと「『せわしい』に同じ」と書いてあるから同じ意味だし、むしろ「せわしい」の方が本来の言葉なんですと言っても、先生はそれでもああだこうだと言って謝らなかったんですよと、怒りも新たに話してくれた。

 そうだとすると「自慢じゃないけど」というのは、「別に自慢しようと思って話すわけじゃないけど」ということで、それが往々にして、あるいはほとんどの場合、自慢話になってしまうということだね、ということでこの件は落着。

 しかしそれならいっそ「自慢話なんだけど」と言って話したほうが潔いと思うのだが、どうして「自慢じゃないけど」っていうのだろうか。それに「自慢じゃないけど」って言ったほうが、よけいこれから自慢するぞって宣言しているような響きがあるではないか。

 「自慢じゃないけど」って言って話すときは、自慢したくてうずうずしているから思わず話してしまうのだが、あ、自慢してるって思われるのはやはり恥ずかしいから一応その言い訳をしておくわけで、しかし結果として「必ず」自慢話になってしまうから、その言葉を聞いたほうは、あ、また自慢が始まると思ってしまうということなのだろう。

 「すべてのエッセイは自慢話である。」という井上ひさしの「名言」があるのだそうである。毎回こうやってエッセイを書きながら、何だ結局自慢話じゃないかと内心忸怩たる思いがあるのだが、この言葉を聞いて、なんだかとてもスッキリした。これからも書いていけそうだ。


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