83 洪水のように

2007.4


 ときどき、発作のように、洪水のように、「やりたいこと」がそれこそドバーっと頭の中をかけめぐることがある。ふだんは、ああ、何にもやる気がしねえ、何かおもしろいことってないかなあなんて、同僚の教師にむかって愚痴を言ってばかりいるくせに、それがどうかした拍子に、がらっと逆転し、「やりたいこと」の洪水の中で溺れそうになる。

 といっても、その内実たるや、実にチマチマしたもので、世界一周旅行をしたいとか、日本の温泉に片っ端から入りたいとか、ポルシェに乗りたいとか、そういう金のかかることではない。金はたいしてかからないが、時間がべらぼうにかかることだらけだ。だから絶対に実現しないのだ。それでも「それ」はやってくる。

 坪内稔典の『子規のココア・漱石のカステラ』という本をパラパラと読んでいたら、俳句の本をやたらに読みたくなった。俳句の実作というのは、高校時代にほんのちょっとやっただけでやめてしまったが、俳句を読むのは大好きである。大好きではあるが、それほど熱心に読んできたわけではない。ここはひとつ腰を据えて研究してみたいなあ。そういえばオレは正岡子規が好きで全集まで持っているのだから、まずは子規全集でもひもといてみようか。といっても全25巻。それから芭蕉も蕪村もじっくり読んでみたい。そうそう、この前、半藤一利の『其角俳句と江戸の春』という本を買ったな。其角もこの際読んでみたい。現代俳句もいいなあ。

 そういえば、この前、漱石の『三四郎』の全編朗読を、アイチューンズストアで買って、その朗読の下手さと、あろうことか「乱丁」にも悩まされたりしながらも、とうとう最後まで聞いたが、あれはものすごく面白かった。高校時代に読んだときとはまるで印象が違っていたもの。この際、『それから』『門』と読み返してみよう。『三四郎』の影響が明らかだという鴎外の『青年』と藤村の『春』も読まなくちゃいかんな。

 読まなくちゃいかんと言えば、トルストイの『アンナ・カレーニナ』は、あんなに面白いのにまだ最後まで読んだことがないというのも気になる。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は今度光文社新訳古典文庫で新訳が出たから、これも読みたい。

 いやいや、多和田葉子の『容疑者の夜行列車』も、知り合いの大学の先生が、多和田の最高作だなんて言っていたから早く読みたいしなあ。

 「読みたい」だけでこれである。やっぱり時間がない。


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