78 教場の匂い

2007.3


 校長秋山先生は、台所口の一枚の障子のわきに納まって、屏風をたて、机をおき──机の上に孔雀の羽根が一本突立っていた。火鉢に鑵子(カンス)の湯をたぎらせてお茶盆をひきよせて、出来上がった人の格好を示していた。山茶花の咲く冬のはじめごろなど、その室の炭の匂いが漂って、淡い日が蘭の鉢植にさして、白い障子に翼(はね)の弱い蚊(あぶ*)がブンブンいっているのを聞きながら、お清書の直しに朱墨の赤丸が先生の手でつけられてゆくのを見ていると、屏風の絵の寒山拾得(**)と同じような息吹(いき)をしているように、子供心にも老人の無為の楽境を意識せずに感じていた。〈長谷川時雨『旧聞日本橋』〉

 この本のことは、蜂飼耳(はちかい・みみ)という若い詩人のエッセイに教えられた。岩波文庫で今は品切れになっているこの本を古本で手に入れて、ぽつぽつと読んでいると、そうかあ、こんな本もあったんだと、わが不明を恥じる思いがしきりである。

 この文章は、長谷川時雨(1879〜1941)が、幼いころ学んだ秋山源泉小学校の思い出を書いた部分だ。この源泉小学校というのは正規の小学校ではなく、代用小学校ということで、どうも今でいえば塾のような所のようである。「源泉小学校は大伝馬町の裏にあって、格子戸がはまった普通の家造りで、上って玄関、横に二階をもった座敷と台所。」という簡単な紹介がある。ここで教えるのは主に「珠算と習字と読本だけ」というから、いわゆる「読み書きソロバン」である。そしてこの秋山校長先生というのは「先生は怖いから大変年をとった人だと思ったが、多分三十位だったかも知れない。」と書かれている。子どもにとって、先生はいつも「老人」に見えるというのはいつの時代でも同じことのようだ。

 それにしてもこの文章から感じとられる「先生および教場のたたずまい」といったものに触れて、ぼくは思わず深いため息をついた。

 ただ朱墨で赤丸をつける先生を見るだけで、生徒は「寒山拾得」の姿を感じとり、老人の無為までも「意識せずに感じ」てしまう。教場に流れる湯と炭と蘭の匂い、そして障子にさし込む淡い日の光。虻の羽音。これこそが教育というもののほんとうの姿ではなかろうか。それからおよそ120年の歳月を経て、教育の現場はこうした姿からはほど遠いものとなった。

 もちろんそれは必然の変化ではあるが、120年経って、人間の品性が下劣になったことだけは疑いようがない。


*本文では「蚊」に「あぶ」と振り仮名をつけているが、「ブンブンいっている」という表現からすれば「虻」とすべきでであろう。

**「寒山拾得」──「寒山(かんざん)」、「拾得(じっとく)」はともに、唐の時代の僧。天台山の近くに二人で住み、奇行が多く、世俗を超越した生き方をしたと伝えられる。その詩は「寒山詩」に収められている。また文殊菩薩の化身と称せられ、多くの画家が描いてきた。森鴎外はこの二人を題材にして小説「寒山拾得」を書いている。


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