77 昔はよかったか?

2007.3


 この前テレビを見ていたらさあ、黛ジュンとか、グループサウンズとかもうやたら出てきてさあ、もう懐かしくってずーっと見ちゃったよ、なんて興奮して話す同僚がいたので、ふん、そういうことを言い出したらオヤジもいよいよ本物だなあと言ってやったら、ぼくの毒舌に馴れている彼はまたアンタはそんなことばっかり言ってと軽く流して、話し続けた。彼はぼくより一つ上、団塊世代の真ん中だ。

 ぼくがそういうことを言ったからといって、そういう昔の歌手に興味がないわけではない。ただ「懐かしい」と思わないだけのことだ。なぜならぼくは「いつも聞いている」からだ。黛ジュンだって、ザッピーナツだって、こまどり姉妹だって、ましていわんやワイルドワンズだって、ぼくは年中聞いている。「懐かしい」なんていうのは、そういう歌をかつて聞いたのに、その後すっかり忘れてしまって、久しぶりに聞くからだ。ずっと聞いているものが懐かしいわけはない。

 もっとも「懐かしい」という言葉は、もともとは「なつく」という動詞から出来た言葉で、本来の意味からいえば「親しみのある」「馴染み深い」というような意味だから、そういう意味でなら、ぼくにとってそういう歌はとても「懐かしい」ともいえるわけだ。

 それはそれとしても、どうして人は昔を懐かしみ、異口同音に「昔はよかった」なんて言うのだろうか。

 近ごろ「懐かしい昭和のテイスト」とか「古きよき昭和30年代」などという言葉を耳にするが、ぼくにはひどく耳障りだ。確かに平成も19年となり、「昭和は遠くなりにけり」といってもおかしくない時代になってきたけれども、「懐かしい昭和」などという感覚はぼくにはない。昭和が終わって平成になって、何か劇的に変わったとは思えない。相変わらずろくでもない日々が続いているだけではないか。まして「昭和30年代」がどうして「古きよき時代」なのか、さっぱりわからない。ただただ貧しくて苦しい時代だったではないか。「貧しくても夢があった」というが、その「夢」とやらをすっかり実現した現在から見たら、ただ貧乏くさい時代にすぎないではないか。そんな「夢」をみたから、こんな時代になってしまったということではないか。

 ワイルドワンズの『思い出の渚』を今でもぼくはよく歌うが、それはぼくにとってはあくまで今の歌だ。そしてワイルドワンズの面々も、ぼくも、知らないうちに驚くほど歳をとった。ただそれだけのことだ。


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