67 金魚

2006.12


 庭の片隅に湧き水が浸みだしてきてジメジメするから、どうしようと知り合いの庭師に聞いたら、池にして金魚でも飼ったらどう? というので、ちょっとした池をこしらえてもらった。池といっても、直径と深さが30センチほどの水たまりのようなものだ。

 最初にメダカを5匹ほど入れてみたら、1月も経たないうちに死んでしまった。それが今年の夏。水質がよくないのだろうとしばらくそのままにしていたが、夏の終わりごろに、今度は金魚3匹とドジョウ2匹を買ってきて入れた。全部で500円にもならなかった。ドジョウの方は、確かに入れたのに、その後二度と姿を見ることがなかった。池の底の土にもぐってしまったとしか思えない。

 一方、金魚のほうはいたって元気で、土を掘っただけのいわば「自然の」池だから、エサなども特にいらないだろうと勝手に判断して、3週間ほど放っておいたのだが、ある日、残っていたメダカのエサを捨てるのももったいなから、ちょっとやってみた。すると水面に躍り上がらんばかりの勢いでエサにむしゃぶりついてきた。何だこいつら腹が減っていたんだとようやく気づいて、さっそく金魚用のエサを買いに走り、以後毎日きちんとエサをやっていたら、食いに食って成長し、今では買ってきた時の3倍ぐらいの体重になっているように見える。しかし冬になって寒さが厳しくなってきた昨今では、池の底の方で眠っているらしく、たまにエサをやっても一口二口食うだけだ。これは一種の冬眠だろうか。

 金魚といえば、子どものころ、よく金魚屋がリアカーを引いてやって来たものだ。浪曲の声音みたいないい声だった。その金魚を、麻疹で寝ていたぼくの枕元に置いてくれたのは誰だったか知らないが、それをぼくがひっくり返して、白いシーツの上に真っ赤な金魚がピチャピチャ跳ねている様が、その時の熱のある体の皮膚感覚とともに今でも生々しく思い出される。

 突然、父が金魚を飼い始めたのにも驚いた。何事にも凝り性の父だったから、結構高い金魚を買ってきて、水を取り替えたり、病気になった金魚の世話をしたりしていたが、いつのまにかフッとやめてしまった。そういう所は、ぼくに似ている。というかぼくが似ている。

 錦鯉などと違って、金魚というのは、つつましい生き物である。ぼくらの生活の片隅に、さりげなく存在する。そして、どうということもない思い出に寄り添っている。

思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 草田男


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