65 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

2006.12


 坪内稔典(トシノリと読むが、ネンテンと最近では自ら名乗っているようだ)の「子規のココア・漱石のカステラ」という本を読んでいたら、こんな一節に出会った。

 石川啄木が好きである。記憶力の弱い私も啄木の歌だといくつも覚えている。

 こう言ってから、有名な歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」という歌を挙げ、こんな感想を述べている。

 蟹の歌はポーズが気障(きざ)でおおげさ、安っぽい芝居に似ているが、人は時にそんなポーズで気を晴らしたくなる。泣きながら蟹とたわむれるなんてことは、普通の大人はまずしないだろうが、それでも私たちの心のどこかには、人のしないことをあえてしたいという衝動というか欲望のようなものがある。その衝動や欲望を啄木が充たしてくれる。啄木は私たちの代わりをしてくれるのだ。

 啄木が好きだと言って、しかもあまりにも有名な「東海の」の歌を挙げるなんてことは、普通は恥ずかしくてしないのに、ネンテン氏はあえてそれをし、そしてその理由をこう説明したわけで、妙に感心してしまった。

 ぼくは、それほど啄木が好きだと思ったことはないけれど、ネンテン氏と同様、「記憶力が弱い」にもかかわらず、その歌のいくつかは覚えている。してみると、結構ぼくも啄木好きなのかもしれない。ただ、「安っぽい芝居」みたいなところに抵抗があって、啄木が好きですと素直に言えなかっただけなのかもしれない。

 ネンテン氏は、その文章の最後に啄木の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」というこれまた有名な歌を挙げ、次のように述べている。

 花を買って妻と親しむなんていうのは、なんとも気障な気がするが、実は私もそんな啄木の気分になる。

 この「友がみな」の歌こそ、近ごろぼくの頭の中にたびたび浮かんでくる歌なのだ。ネンテン氏の「そんな啄木の気分」というのは、「妻に親しみたい」気分といちおうは読めるが、その前提となっている「友がみなわれよりえらく見ゆる」という気分の方がより重要であることはいうまでもない。「花を買って妻と親しむ」ことなどそれこそ「安っぽい芝居」じみているけれど、そんな妄想を抱くほどやりきれない「友がみなわれよりえらく見ゆる」という気分、これはまさに今のぼくの気分そのものでなのである。

 それにしてもネンテン氏ほどの有名人にしてもこんな気分になるのだということを知って、何となくほっとしたことであった。


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