62 やっぱり「ハゲ」がいい

2006.11


 言葉を換えれば、差別もなくなるということで、さまざまな言い換えが行われ、それによって随分と差別意識も少なくなったという面もあるだろうが、差別の根っこは深いから、そう簡単には事態はよくはならないだろう。逆に、いわゆる差別用語に対してあまりに厳格すぎると滑稽なことにもなる。

 大相撲の解説者の元関取が、土俵からおりた力士が少し足を引きずって花道をかえる姿を見て「ああ、ちょっとビッコをひいてるね。」なんて言おうものなら、間髪を入れずに隣のアナウンサーが「今、不適切な表現がありましたことをお詫びします。」なんて言う。ああいう場合、マイクの向こうではどんなやりとりがあるのだろうか。「困りますよ。ビッコなんて。」「じゃ、なんて言えばいいんだ。」「足を引きずってます、とか、足を怪我したようですね、とかいろいろあるでしょ。」なんてことになっているのだろうか。元関取にしてみれば、それまでの人生は「ボキャブラリーより稽古」だったろうから、気の毒なことである。

 「ハゲ」ということばも近頃めっきり減った。「若ハゲ」なんて言葉もまず聞かなくなった。そのかわりに登場したのが「ウスゲ(薄毛)」である。この「ウスゲ」という言葉が大嫌いだ。

 そもそも「ウスゲ」なんていう言葉はない。少なくとも国語辞典にはのっていない。これは誰かの造語に違いない。おそらくあの例の業界が、「ハゲ」というと反発が多いからというので、苦肉の策としてひねり出した言葉ではなかろうか。そういう匂いがぷんぷんするのだ。

 「ウスゲ」という言葉にはカワイゲがない。言葉としての柔軟性に欠ける。豊かな広がりがない。

 確かに「ウスゲ」には差別の匂いがない。「(頭の)毛が薄い」という客観的な事実を指し示すだけだ。喧嘩をしているときに「何だこのハゲ!」と言えば相手を激怒させるだろうが、「何だこのウスゲ!」では、少なくとも今の所はその効果は期待できない。それはそれでいいことだし、ぼくだって人から「このハゲオヤジ!」なんて言われたくない。だからといって「このウスゲオヤジ!」とはもっと言われたくない。同じ罵倒の言葉でも、「ハゲオヤジ」の方がどこかカワイゲがある。そこはかとないあたたかみがある。

 「ハゲ山」とは言うが、「ウスゲ山」とはいわない。「ハゲチョビン」なんていう可愛い言葉もあるが、「ウスゲチョビン」なんてなんのことやら分からない。やっぱり「ハゲ」がいい。


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