61 どうもわからない

2006.11


 海の近くに住みたいとずっと思ってきた。里山のような所に住みたいとも思ってきた。しかし結局実現していない。この分だと、実現しないまま終わるような気がする。しかしそのことを特別に残念に思っているわけではない。海の近くにせよ里山にせよ、以前ほどぼくにとっては魅力的ではなくなってきてしまっているような気もするからだ。

 自然をこよなく愛しているくせに、どうも自然が怖い。海の近くということでいえば、この前のインドネシアだったかの大津波の映像をみて、ああやっぱり海辺はこわいなあと思うようになった。穏やかな海は格別だが、荒れ狂う大波はどうもいただけない。近づきたくない。

 山も、里山程度ならいいのかもしれないが、何が出てくるか分からないこわさがある。スズメバチも嫌だし、まして近頃のように熊まで出てきたらやっぱり恐ろしい。天井からムカデがぽろりなんていうのもおぞましい。

 中学生の頃からナチュラリストたらんとしていたのに、どうも根っからの自然愛好家ではないのかもしれない。ぼくは、結局「町の子」なのだろうか。いい歳して「町の子」もないものだというのなら「町のオヤジ」だ。けれどもたとえば、なぎら健一みたいに根っからの下町のオヤジでもない。青い灯赤い灯が何より好きで、毎晩町の居酒屋で気のあった仲間と飲んだくれるのが無上の楽しみだなんてこともまったくない。

 旅が好きだったはずなのに、ちっとも旅に出ようともしない。1年に一度ぐらい、近間に旅をすると、それでもう満足してしまう。ちょっと長い旅(といってもせいぜい2泊ぐらいなのだが)に出ると、すぐに家に帰りたくなってしまう。どうも、本当は旅も好きではないのかもしれない。

 人間相手の仕事をしたいと思って教師になったはずなのに、生徒のことを心から親身になって考えているかというと、どうもあやしい。周囲のほんとうに熱心な教師の姿をみるたびに、ああどうもオレは違うなあと思ってしまう。人間が好きかと問われて、はい好きですと胸をはって答えられない。どうも、人間関係がめんどくさい、という気持ちが常にあるからだ。

 これはもう文句なく好きなものだ、といえるものが、どうもない。これをやっていると何もかも忘れるというものがない。これだと思って飛びついても、すぐに飽きる。それなのに、結局教師をやめることもなく、このエッセイも460を越えた。つくづく自分という人間がわからなくなる。


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