60 「世界史」問題

2006.11


 世界史未履修の問題が騒がれている。この問題が発覚してから、連日校長たちが謝罪し、果ては自殺する校長まで出るという痛ましい事件まで起き、マスコミは学校や教育委員会への猛烈なバッシングをしている。このごろになってようやく、カリキュラム自体への批判なども出てきたようだが、それよりも、補習をいったい何十時間にするかなどといった議論がやはり先行しているようだ。

 テレビのコメンテーターなどは、学校が予備校化している証拠だとか、大人がこんな嘘をついてどうして子どもの教育ができるのかなどといった、愚にも付かない意見を臆面もなく述べているが、そもそもの問題の根源は、高校のメチャクチャなカリキュラムにある。

 世界史が必修で、なぜ日本史が必修でないのか、ということだけだとったって十分おかしいけれど、それよりおかしいのは、一方で学校5日制を実施しながら大学入試の改革は一向に行われないばかりか、東大などでは受験科目が増えているという現実。5日制だけだって、「主要科目」の時間数確保が難しいのに、この数年間で、家庭科、総合的学習、情報といった科目が軒並み必修になった。男だって家庭科が必要だと誰かが言えば、はいそうですね、各教科に分断されていてはできない学習も総合的にさせようと誰かが言えば、はいそうしましょう、情報化社会だから情報教育も必須ではないかと誰かがいえば、お説ごもっとも、といってどんどん必修科目を増やしてきた。

 欧米では土曜日も休みなことだし、お父さんも近頃では土曜日が休みなのに子どもだけ学校に行っていては家族の会話も成り立たないとどこかの脳天気な「学識経験者」が言えば、それでは学校も土曜日をお休みにしましょう、と学校5日制を実施した。その結果は、やれ土曜日の補習だ、やれ平日の7時間目だといったことが平然とまかり通っているのに、言い出しっぺは、知らん顔だ。

 いったい、この無責任な「言い出しっぺ」は誰なのか。彼らこそ、謝罪すべきではないのか。

 コメンテーターの諸君だって、受験生の頃は、関係ない科目の時間に内職ぐらいしたに決まっている。そういうセコイことをしたからこそ、大学にも入れて、今はテレビでいばっていられるんじゃないのか。

 補習時間を70時間だ、50時間だと騒いでいるが、まさかそれで世界史の生きた教養が身につくと思っているわけでもあるまい。まったく度し難い世の中である。


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