59 中だるみ

2006.10


 中学3年生と高校1年生の合同の朝礼で、ぼくは今日、こんな話をした。

 君たちは、中3と高1ということで、まあいわゆる中だるみの学年ということになるわけだね。栄光では、この中だるみどうするかが永遠の課題になっていて、いろいろ先生方も苦労してきた。でも一向に効果がなくて困っています。

 ところで、あそこに高圧線の鉄塔があるよね。あの鉄塔とあの鉄塔の間に電線がはってあるけど、いつ見ても中だるみしているね。それはどの電線でもそうだ。鉄塔の近くの電線はピンと張っていて、真ん中は垂れている。つまり中だるみだ。これが逆に、鉄塔の近くがたるんでいて真ん中がピンと張っている「中締まり」なんてのは見たことがない。いつだって、真ん中はたるんでいるんだ。つまり、中だるみは自然の摂理である。

 君たちの中学高校の6年間においては、両端の鉄塔は、入学と卒業だ。どちらも、緊張感に満ちている。ピンと張っている。で、今は中だるみ。自然の摂理なんだから仕方がない。

 しかしだよ、もし、あの電線をなるべくたるまないようにピンと張ろうとしたらどうすればいいだろうか?

 端の方を思い切り引っ張ればいいよね。君たちで言えば、初心に返って入学時の緊張感を取り戻すこと。しかしまあこれは無理だね。後は、大学受験を思い切り意識してそっちから引っ張ること。でもこれも引っ張りすぎると電線が切れちゃうから無理はできない。

 では、他に手段はないだろうか?

 そう、鉄塔を増やせばいい。あの2本の鉄塔の間に50本ぐらい鉄塔を建てれば、電線はかなりまっすぐになるよ。

 何事にも「はじめ」と「中」と「終わり」がある。「中」の緊張感とか充実感とかは「はじめと終わり」の「張り」で決まるんじゃないだろうか。

 6年間で考えれば、入学と卒業が「はじめと終わり」になるけれど、長すぎて「中だるみ」になる。だから鉄塔の間隔を短くすることだ。1学期で考えれば、始業式と終業式がある。1日で考えれば、起床と就床がある。1時間の授業にも、「はじめと終わり」がある。そう考えて鉄塔をたくさん建てれば、結構、中だるみしなくて済むかもしれないね。

 とまあこんな具合だった。人間の一生も、誕生と死というまさに緊張感に満ちた「両端」の合間の「中だるみ」に過ぎないが、何かを始めるということに意味があるのは、そこに多少の緊張感を生み出すからだろう。生きる張り合いも、工夫しだいなのかもしれない。


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