58 知らないことばかり

2006.10


 先日、東京国立博物館で開催されている特別展「仏像──一木にこめられた祈り」を見てきた。予想を遙かに越えた充実した展示で、その上あまり混んでいなかったのでこころゆくまで古仏を鑑賞することができた。

 中でも、国宝の「菩薩半跏像」(11月5日まで展示。その後は滋賀県向源寺の十一面観音に展示替えとなる。)の美しさは際だっていた。この仏像の存在は、ワタクシとしたことが、今までまったく知らなかった。この仏像のある京都の「宝菩提院願徳寺」というお寺の存在も知らなかった。ぼくにとっては忽然と国宝が出現したという感じである。

 仏像に魅せられたのは高校時代のことで、それ以来の長い付き合いだから、国宝の仏像の存在を知らないということはないはずだと自負していたのに、これはいったいどうしたことだろう。

 願徳寺のホームページを開いてみると、「地図にない京都で一番小さな拝観寺院。凛とした観音さまが、1200年、毎日毎日皆様の願いごとを待っておられます。」という言葉がある。場所は京都市西京区大原野南春日町とある。京都には何度も出かけてはいるが、とてもこんな所までは足を伸ばしてはいなかった。「仏像とは長い付き合い」などと威張ってみても、所詮有名な仏像をいくつか見ているというだけのことに過ぎないことがよく分かった。恥ずかしい限りである。

 横浜生まれの横浜育ちだなんていって、横浜のことなら何でも知っているような気持ちでいたが、これもとんでもないことで、今回の展覧会に、近くの弘明寺の十一面観音菩薩立像が出ていたのにもびっくりしてしまった。幼い頃から馴染みの深い弘明寺(グミョウジと読みます)には、何度も行ったこともあるのに、その本尊がどのような仏像であるかを知らなかった。見れば、平安時代に作られた「鉈掘り」(ノミで削った後を残す彫り方)の立派な像である。それが国立博物館に堂々と展示されているのをしげしげと見て、誇らしさと同時に恥ずかしさを感じないではいられなかった。観音様に申し訳ない気持ちになった。

 知らないことは結構ある、いや知らないことだらけである。京都のことも知らなければ、横浜のことも知らない。それなのに、知っている気でいる。情けないことである。けれども、そういう反省をしながら、俄然やる気も出てくる。知らないことが多いということは、これからもっともっと知ることができるということだ。勉強したいとつくづく思う。


東京国立博物館のホームページ  願徳寺のホームページ

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