54 囲碁ふたたび

2006.9


 結婚して数年たったころだったろうか、家内の父が囲碁が好きなので、手ほどきを受けた。父は6段という腕前で、教えを乞う人も多く、そのうち父を中心とした囲碁の会ができた。最初のメンバーは5人ほどだったが、ぼくはそのメンバーの一人となった。やがてその会は規模を拡大し、現在では日本棋院の支部となり、会員も50名を越えるほどになっている。

 しかし、ぼくはというと、数年続けただけで完全に脱落してしまった。仕事が忙しく例会にも出られなくなったということもあるが、やはり何と言っても「ちっとも強くならない」というのが一番の原因だったように思う。もともと勝負事はからきしダメで、中学生の頃に海のキャンプでやった「モノポリー」というゲームで、最初に破産するのはいつもぼくだった。それもあって家業のペンキ屋は絶対に継ぐまいと思ったものだ。小学生のころに友人とやった将棋でも、勝ったという記憶がない。

 そんなぼくが囲碁をやっても強くなるわけもないのに、何故かあの白と黒の石の色合い、碁盤の木の感触などがぼくを引きつけたのだった。布石を打っているときなどは、うきうきするような楽しさまで感じられもしたのだが、いざ局地的な闘いとなると、ちっとも先の読めないぼくには如何ともしがたく、おまけに負けてもあんまり悔しくないというあっさりとした気質が災いして、一向に強くならず、おまけに、碁を打っていると中学受験で算数に苦しめられたころの心境を思い出すはめとなり、とうとう例会にも出なくなったというわけである。

 あれから20数年がたったが、最近体のとみに弱った父のところへ見舞いにいくと、しきりに碁を打ちたがるので、久しぶりにお相手をすることになった。遠ざかっていたとはいえ、テレビの囲碁番組などはちらちら見ていたこともあり、石の置き方ぐらいはまだ覚えている。ベッドから起き上がるのも一苦労な父だが、ひとたび碁盤に向かうと、眼光するどく、容赦なく打ち込んでくる。定石も筋も何もわかっていないぼくなどは、何度やっても完膚無きまでに打ち負かされてしまう。

 あまりの弱さに、父は本やビデオを貸してくれるので、ここはひとつ勉強をしようかという気になった。どんなに才能がなくても、勉強すればそこそこの所までは行くものだ、というのはあくまで一般論であって、ぼくの囲碁の場合には当てはまらないのは重々自覚しているが、それでも何とかやってみようと思っている。


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