45 いうだけ野暮か

2006.7


 今年の4月4日、横浜大桟橋から偶然見送った「飛鳥2」の世界一周クルーズは、もう終わったかなあと思って、「飛鳥」のホームページを見てみたら、7月13日に横浜へ帰還とあった。それなら、もう世界一周旅行は終わって、あのとき見送った人たちは、みんな楽しい思い出で胸をいっぱいにして家に帰っているはずだ。最低でも一人380万円、最高で1800万円という金額が高いのか安いのか、それはその人の金銭感覚というか、資産状況によるのだろうから軽々には言えないが、もちろんぼくからすれば、高いとしかいいようがないので、いうだけ野暮というもの。

 あのときデッキで別れのテープを持ちながら、こちらに満面の笑みで手を振っていたのは、ほとんどが中高年の夫婦だったが、彼らは、その日ごとに決められた服装に身を包み、やれディナーだ、やれダンスパーティーだと日を暮らし、同じ階級の仲間とたくさん知り合いになり、この世の幸せを我が身に感じながら、貧困と戦争にあえぐ東南アジア、インド、中東を経て、夢のヨーロッパへと入っていったのだろう。と書きながら、我ながら嫌みというか、僻みというか、どうしてもどこか屈折したものいいになってしまうのもこれまた致し方もないことだ。

 ぼくのほうはと言えば、この3ヶ月の間、いつもどおりの教師としての平々凡々たる日々以外の何ものもなく、数年後の定年を控えて、学校経営者と定年延長を巡っての攻防を注視してきたのだが、結局、「年寄りはいらない。若者に道を開け。」というこれも軽々には反論できない冷たい言葉を全身に浴びる結果となり、これまで営々として積み重ねてきた教師としての経験とか技術とか、わずかながらも獲得した知恵とか、そういったもののすべてを「年寄り」のひとことで否定された気分になり、こころの奥で深く打ちのめされた。

 カネをもうけたくて教員になったわけではないから、カネのことはいいたくないのだが、カネを払いたくないばっかりに「高給」の年寄りを排除しようとする魂胆をこうまで露骨に言葉で示されると、さすがにゲンナリしてしまう。

 しかし、元気いっぱい、溌剌として教室に向かう若い教員の後ろ姿をみるにつけ、オレひとりの給料でこういう人たちが二人やとえるなら、やっぱりそのほうがいいよなあという思いにもかられ、ソコハカトナイ寂しさを感じてしまう日々。

 同じ3ヶ月でも違うものである。これもいうだけ野暮か。


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