44 資質向上?

2006.7


 教員の資質向上が叫ばれているようである。つい先日も、中教審が教員免許の更新制度とやらを提案したと報じられた。で、どういう風に更新するのかというと、10年たったら、30時間ほどの講義を受講すればよいのだそうである。それで教員の資質向上が見込まれるのだそうだ。

 もしそれが本当なら、教員も見くびられたものである。いや、人間というものが見くびられたのだといったほうがよいのかもしれぬ。

 「資質」というものが語られるときに、すぐに「研修」が持ち出される。まるで、子どもにむかって「勉強しなさい」としか言えない親のようなものである。「30時間の講義」というものが、どのようなものになるかは、おおよその見当はつく。どこぞの教育委員会のエライ人が、アリガタイお話をするのであろう。で、当の教員の方は、授業中の生徒よろしく居眠り三昧ということになるわけである。

 ぼくは「研修」というものが、ヘビより嫌いだから、大学を卒業して都立高校の教師になった最初の年の都の主催する「新人教員研修」には1回しか出席しなかった。その1回というのは、給与についての説明会だった。それ以外のアリガタイお話の研修会は一切出なかったし、当時の校長もそれについて何も言わなかった。校長自身、そんな研修会が屁でもないないことぐらい百も承知だったからだろう。それくらいの反骨精神はある校長だった。

 それはしかし30年も前の話である。今では、多分そういうことは許されないだろう。そればかりか、新人教員自身が官製の「研修」を求めているらしい。役人や、先輩教師のアリガタイお話をせっせと聞いて、「自分を高めたい」ということなのかどうか知らないが、もしそういうことだとしたら、それこそ「資質」の低下の証拠である。

 「教員の資質」というものがもしあるとするならば、それはたった一つ「権威や権力に屈しない力」だとぼくは思っている。数学の力が多少劣っていても、国語の読解力が多少心許なくても、教員の仕事は何とかつとまる。というよりも、生徒に与える「被害」が最小限ですむ。しかしその資質を持たない教員は、生徒を不幸にする。

 「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」が大事ですなんてことを教員が学んで、生徒の「悪事」ひとつ心にしまっておけないような教員ばかりがウヨウヨすることになれば、ろくなことはない。というか、もうそういう世の中になってしまっているような気もするが。


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