43 ダメなデジタル

2006.7


 長いこと使っていたLDプレーヤーがとうとう壊れてしまった。1年ほど前に修理をしたのだが、やはり寿命のようだ。LDのソフトはとうに生産中止になっていて、プレーヤーだけは2機種だけパイオニアが細々と生産しているが、いまさらその機械を買うのもばからしい。

 こういうことがあると、デジタル機器の駄目さ加減を思い知らされる。やっぱりレコードはアナログじゃなきゃとか、SPこそほんとの音だなどというようなコダワリはぼくにはないし、音楽はCDで十分だと思っているが、しかし、ソフトがたまってきたと思うとすぐにハードの方が先に行ってしまうという悪循環が運命のデジタル機器には、いささかウンザリしてしまうことも確かだ。

 結局、踊らされているのだなと思う。それが分かっていて、踊らされていることを楽しんできたという面もある。ワープロからパソコンまで、ずいぶんと金を使ってきた。新しモノ好きで、それが趣味みたいなものだから、どうしようもなかったと言えばそれまでだが、無駄な出費も多かったと反省もしている。

 プレーヤーのないLDソフトは、ただの銀色の円盤にすぎない。たった1秒の映像すらそこから引き出すことができない。しかもその円盤は、一枚5000円もする代物なのだ。これはどう考えても理不尽なことではないか。コトはLDに留まることではない。早晩、CDもDVDもそうなるに違いない。デジタルなものというのは、実体がないから、それを実体たらしめる「ハード」を必要とする。そこに致命的な欠陥がある。

 アナログなものの価値というのは、CDよりレコードのほうが音がいいというような問題ではない。アナログなものは、実体がある、ということだ。レコードもプレーヤーがなければただの円盤かというとそうでもない。溝を針でひっかけば、何らかの「音楽」が聞こえるのである。CDを針でひっかいても絶対に「音楽」は聞こえない。

 そういう意味では、アナログなメディアの代表は何と言っても、紙である。紙で出来た本こそは、どんなに時が流れても読めなくなることはない。電子書籍の普及が目覚ましいらしいが、実体のない「本」は、いつか必ず読めなくなる運命にあるのだから、決して「紙の本」にとってかわることはないだろう。たとえ、そういう日がくるとしても、そのころには僕の方の寿命が尽きているだろうから、心配もない。ぼくはただ紙の本を愛していくだけのことである。


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