42 おしおきクリニック

2006.7


 電車の窓から、流れる景色をぼんやり眺めていたら、「おしおきクリニック」という看板が目に入った。なんだ? 変な病院だなあと思ってよく見ると「おしきりクリニック」だった。いくら何でも「おしおきクリニック」なんて病院があるわけがないじゃないかと思いつつ、あったらどういう病院なんだろうなあと考えたら可笑しくなった。

 昔読んだ随筆のなかに、北海道で「市立士別病院」という看板を見て、思わず「死別病院」という漢字を思い浮かべてしまい、縁起でもない名前の病院だなあと思ったという文章があった。これは士別市の病院なのだから、地元の方にとってはそんな連想は不愉快に違いないが、よそ者が違和感を感じるのもまた無理からぬ所である。

 子どもの命名でも、その時は気が付かなくても、後でとんでもない連想を呼ぶものだったりすると子どもが後々苦労することにもなる。先日何かのテレビ番組に出演していた中年の女性の名前が、「雲子」と字幕に出た。これはいったいどう読むのだろう。「くもこ」なのか。それとももっと洒落た読み方をするのだろうか。けれども、この人は子どものころ、どれほどいじめられたことだろうと思って同情してしまった。

 「士別」も「雲子」も、同じ音や別の読みでの連想から、おかしなことになるのだが、「おしおき」と「おしきり」では似ているといえば似ているが、勘違いするほうに問題ありという感も免れない。この手の例では、よく女流エッセイストなどが書くことだが、「おこと教室」という看板を「おとこ教室」って読んでしまいました、みたいなのがあって、これなどはちょっと「できすぎ」の感もあって作り話めいてくる。

 ぼくの勘違いでは、以前も書いたが、宮澤賢治の童話「なめとこ山の熊」を何十年もの間「なめこと山の熊」だと思っていたというのがある。これなんかはあんまり長い間、勘違いしたまま読んでいなかったので、勝手な話がぼくの中で出来上がりかねない状況だったが、逆に、わざと文字を入れ替えて面白がっていたこともある。

 例えば、「したきり雀」ではなくて、「しきたり雀」。演劇部の生徒と話しているときふと思いついて、「そうだ、『しきたり雀』という芝居を作ろうよ。しきたりの厳しい雀を主人公にしてさあ。」なんてしきりに提案したのだが、生徒はあんまり面白がってくれなかったので、それきりになってしまった。もうちょっと具体的に話を展開してみたかったと悔やまれる。


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