40 いいかげんなものである

2006.6


 雑草というものは実にやっかいなもので、いざ庭から完全に排除しようと思おうものなら、とんでもない悪戦苦闘を強いられる。ドクダミなどという代物は、ちょっとでも根が土に残っていたら確実にまた生えてくるから根絶などとうてい無理な話である。しかしこの悪名高きドクダミも、ヨーロッパあたりではその可憐な花が珍重されて鉢植えなどにされているらしい。なるほどそういう目でみれば、庭のあちこちに咲いているドクダミの白い花は確かに綺麗である。

 一方、マンリョウという植物は、センリョウとともに、おめでたい植物として日本では庭にもよく植えられ愛されているが、これがアメリカのカルフォルニアに持ち込まれ繁殖してしまったため、あちらでは「有害帰化植物」に指定されて嫌われているらしい。

 ほんとうは、植物に「有害」も「無害」もない。雑草という名前も、農作物や庭作りの邪魔になるからそう呼ばれるのであって、ソメイヨシノもエノコログサも、同じ植物であり、価値の上下などありはしない。

 昔、西脇順三郎というエライ詩人がいたが、その詩はいわゆる超現実主義といって、金子みすゞの詩のように易しくはない。初めのうちは、この人の詩はギリシャ風のイメージでとてもハイカラだったが、歳をとるに従い、「自然は寂しい」とか言い出して、詩の中にやたらに雑草の名前が出てくるようになった。ずいぶん詳しいなあと感心していたのだが、最近そのエッセイやら対談集などを読んでいたら、何年もかけて懸命に雑草や樹木の名前を覚えたのだと言っていて、そうだったのかとまたまた感心してしまった。草や木をみると、どうしても名前を知りたくなるのだそうである。その気持ちはよく分かる。

 雑草とひとくくりにせずに、ひとつひとつ名前を知っていけば、それぞれがいとしい植物になっていくだろう。

 ところで対談の中で、西脇さんは、カツラの木をようやく見たんですよと言ったあと、「カエデによく似ています」と続けた。そんなわけないだろうと思って読み続けると、「カクレミノなんて木がありますが、あれもカエデの仲間ですね。」なんて言っていた。大間違いである。対談の相手の山本健吉も俳句歳時記などを編纂しているほどだからさぞ植物には詳しかろうと思っていたのに、全然反論しない。いいかげんなものである。

 しかしまあこれもご愛敬。ぼくも西脇先生にならって、せっせと「雑草」の名前を覚えていくことにしよう。

(注)カツラの葉は、丸くてハートに似た形。カエデとは似ても似つかない。またカクレミノというのはヤツデと同じ仲間(ウコギ科)で、たしかに掌のような形の葉はカエデに似ているとも言えるが、木の形、葉の大きさ、厚さ、艶など、一目でカエデの仲間ではないことは分かるはず。


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