39 ウイングの幸せ

2006.6


 所用あってよく金曜日の夜に都内某所に出かけるが、その帰路、品川駅から京浜急行に乗り換えて、最寄り駅の上大岡駅まで帰ってくるのが常である。

 京急という会社は結構細かく乗客のニーズに応えてきたが、中でも出色なのはウイークデイの夜に運転されるウイング号である。乗車券の他に200円を払うと、座席指定ではないが確実に座席が確保される。しかも品川駅の次の停車駅が上大岡駅なのである。品川駅と上大岡駅の間には、横浜駅という重要な駅があるのに、それを思い切りすっ飛ばすのである。つまりこの電車は、京急が開発した三浦半島方面の住宅地からの通勤客への配慮から考案されたのだ。上大岡は三浦半島の付け根みたいなところなので、まずはそこに止まるというわけだ。まるでぼくのための電車みたいだ。

 ウイング号の座席のほとんどは二人がけのロマンスシートなのだが、乗客のほとんどが勤め帰りのサラリーマンなので、当然窓側の席から埋まってゆき、発車5分前ともなれば、まるまる空いている席などはまずないから、誰かの隣に座ることになる。ところが窓側に陣取ったオジサンたちは「来るな。座るな。」というオーラのようなものを全身から発しているので、誰の隣に座るかには結構気を使う。

 先日の金曜日、9時5分のウイング号に乗ったところ、幸い誰も座っていない席がひとつだけあり、うまくすれば一人のまま上大岡まで行けるなと思っていると、そこへ若い20代のカップルがやってきた。もう並んで座れる席は残っていない。二人はしばらく探したが、諦めて、男の方がぼくの隣に座り、女の方は通路を挟んだ席に座った。

 そういうことはよくあるのだが、なかなか感じのいい二人だったせいか、何だか、急にかわいそうに思えてきて、ぼくはiPodを聴きながら、隣の男に「替わろうか?」と言った。男が、え?という間もなく、いいよ替わるよといってぼくは立ち上がった。そのとき、通路の向こうに座っていた女の子が小さく「ウワー、ありがとうござまいす。」と言った。その「ウワー!」という小さなしかしほとんど歓声に近い声には、何ともいえない嬉しさがあふれていた。

 わずか数十分という時間を恋人と並んで座れるというだけのことがこんなにも嬉しいなんて、なんと幸せな二人なのだろうと、ひさしぶりに「よいオジサン」となったような気分で、iPodから流れるエンヤを聴きながら、竹中労の「完本美空ひばり」を読んでいた。


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