32 強くて美しいもの

2006.4


 写真家の土門拳の「強く美しいもの──日本美探訪」という本がある。小学館文庫のオリジナルで、エッセイと写真で構成されている。先日この本のページを繰りながら、いちいち同感していた。

 土門は、とにかく自分の好きなものしか撮らなかったという。しかも自分が美しいと思った所を撮るので、クローズアップを多用する。戦後すぐの頃は世相をリアルに撮したモノクロームの作品が印象的だったが、その後は「仏像」「工芸品」「陶磁器」「花」「風景」などを精力的に撮っている。それらの写真に共通して見られるのが、「強くて美しい」という美学のようなものだ。

 たとえば花に関して土門は、木に咲く花が好きで、草に咲く花は弱々しいからあんまり好きではないと言っている。ぼくなどは、そんなふうに思ったことはないが、言われてみると、そういう感じ方もあるんだなあと妙に感心してしまう。

 近くの画廊で、よく水彩画の個展をやっているので見にいくのだが、たいていはがっかりする。どうにも絵に「強さ」がないのだ。「美しいもの」を懸命に求めて悪戦苦闘しているというのではなく、ただ「水彩画」というものを描いているに過ぎないような絵が多い。弱々しい線に、淡い色彩。コントラストの弱い、フラットな画面。そういう絵が、何十枚も並んでいるとウンザリしてしまう。

 横浜の山手などに出かけると、ここでも年配の男女が、水彩のスケッチをしている。ちらちらと覗いてみると、みんなそろいもそろって、鉛筆の薄い線に、淡い色づかいで、ぼんやりとした建物などを描いている。先生の描く絵のような絵を描こうとしているのだろう。どうしてもっと、大胆に描かないのだろうか。もっと太い線で、もっと濃い色で、どうして描こうとしないのだろうか。

 最近、ぼく自身も、自分の描く「弱い」水彩画に嫌気がさして、筆を執ることが少なくなった。かといって、濃い色の油絵の具もぼくにはどうしてもなじめない。それで、最近は、もっぱら写真に夢中になっている。

 デジタルカメラの進歩は目覚ましいものがあって、撮った写真の色合いやコントラストなどを自由に変えることができる。1枚の花の写真でも、コントラストや色合いを調整していくと、無限の表情を見せてくれる。シャープで、コントラストの強い写真がぼくの好みなのだが、それは「強くて美しい」という土門の美学に畏れ多くも近いのかもしれない。しばらくは写真がマイブームのようである。


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