29 カメラ事始め(その2)

2006.4


 思えば、ニコンFを目の前にして心を震わせた日から、ニコンとの長い付き合いが始まったのだった。それにしても、今の金銭感覚でいうなら、初代のニコンFというのは、いったいどれくらいの値段だったのだろうか。とにかく高級機に「超」がついたことは確かだから、安く見積もっても今でいえば50万円ぐらいの感じだったのではなかろうか。「月賦」で買ったというが、父もこういうモノには随分金を使ったほうだった。それにしても、それにしても、そんな超高級機を、高校生のぼくに平気で貸してくれた父も、たいした太っ腹である。

 ところが、ある時とんでもないことが起きた。その当時、ぼくは生物部の連中と連れだって、よく丹沢に入った。山登りそのものは辛いから好きではなかったのだが、山の自然が大好きだったから、よく出かけたのだ。たいていは「沈殿」と称して、仲間が登山に出かけたあとも山小屋に居残ることが多かったが、それでも、時にはぼくだって、塔ノ岳ぐらいには登った。

 ある冬、数人の仲間とその塔ノ岳に登った帰り道、凍った山道でツルッと滑り、見事に転んでしまった。幸い背負っていたリュックサックがクッションとなり、ほとんどどこも打たずに済んだのだが、そのリュックサックに入っていたものを思い出して、ぼくは慄然とした。そのリュックのポケットには、何とニコンFが入っていたのだ。おそるおそるポケットをあけてみると、ああ、あろうことか、大事なニコンFが大破している。外付けの露出計などは半分つぶれ、スプリングが跳ねて跳んでいく始末。カメラ本体も、レンズの部分がナナメに前に傾いてしまっている。完全に使いものにならない状態だった。ぼくは生きた心地もなく山をおりた。

 父に何と言おう、父は何と言って怒るだろう。お前なんかに貸すんじゃなかった、おれの大事なものをこんなにしやがって、と怒鳴るだろう。でも、仕方ない。謝るしかないのだ。覚悟を決めて、事情を話して、大破したカメラを父に差し出した。

 今でも信じられないのだが、父は全然怒らなかった。さすがショックは隠せないようだったが、とにかく、そうか、修理に出さなきゃな、と呟いた程度で終わってしまったのだった。

 それから、どのくらい後だったろうか、ニコンFは完全に復活して戻ってきた。「『重ショック』、ということだったぞ。エライ金がかかった。」といいながら、それでも父は「もう貸さない」とは言わなかった。


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