27 ぐちゃぐちゃ

2006.3


 人間にはいろいろな癖があって、それはそう簡単には直せるものではない。例えば、整理整頓ということができない人がいる。生徒でも、いくら言っても自分の机の周囲やロッカーがぐちゃぐちゃになっている者が必ずいる。そのぐちゃぐちゃ加減というものは半端なものではないから、いい加減に片付けろと文句を言い続けるのだが、絶対に綺麗にしない。こちらで実力行使に出て勝手に片付けても、決して自分でやろうとはしない。

 つい先日卒業していった生徒にもそういう者が何人もいて、卒業式までに必ず私物を整理し、持ち帰るようにとさんざん注意したにもかかわらず、とうとうぐちゃぐちゃなまま卒業していってしまった。後に残ったのは、教科書やノートやマンガ本の山である。まあ、これも指導力のなさ故、自分の蒔いた種ということかと情けなく思いながら、台車まで使って生徒の卒業してしまった教室のゴミの整理をした。大学に進学した者、浪人を余儀なくされた者など様々だが、そんなことはともかく、せめて身の回りぐらいはきちんと綺麗にしろよな、「立つ鳥、あとを濁さず」というじゃないか。これじゃ鳥以下だぜ。

 とはいうものの、何もそういう者は生徒に限らない。大人だって、掃除や、整理のできない人間はごまんといる。教師だってそうだ。結局、人類には整理のできる人種と、できない人種がいる、というだけのことなのかもしれない。

 それにしても、ぼくが不思議でならないのが、机の上の本やノートの類がナナメになっていても平気な人だ。ぼくはそういうのを見ると、いちいちまっすぐに直したくなる。もちろん、実際には手を触れることはないが、どうにもその神経が分からないのである。本やノートといった紙類は、ナナメにしておくと癖がついて、なかなか元に戻らないものだ。それでもいいのだろうか。ぼくは絶対にそういうのは嫌だから、100円ショップでブックエンドを見るとつい買い込んでしまう。とにかく、ナナメになっているのは許せない。だからぼくの職員室の机はきれいなほうである。

 しかし、やっかいなことには、机上がきれいということと、ものがきちんと整理されて収納されているということとは必ずしも同義ではないということだ。ぼくの机はきちんとしているが、必要な書類はたいてい見つからない。それで机がぐちゃぐちゃな人の所にいって、すみません、この前の書類貸してください、なんて言うはめになる。


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