24 完成形

2006.2


 写真というものについて考えるとき、どうしてもその完成形として、印画紙に焼き付けられたものを思い描いてしまう。それは、小学生の頃からカメラを手にし、その後も写真とは並々ならぬ縁があった者としては当然のことだろう。ニコンがとうとうフィルムカメラからの事実上の撤退を表明するにいたっても、そして自分自身がデジタルカメラに移行してしまっている現在でも、なお、写真であるからには、紙にプリントされた形が完成形だということを無意識のうちに固く信じていたふしがある。

 そのため、今までに何台ものカラープリンターを買ってきた。出始めのプリンターときたら、インクの粒子が丸見えで、まるで点描画のようだったが、それでもカラー写真が自分で「焼き付け」できたとひどく感動したものだ。現在使っているプリンターは、白黒写真まできれいに出力できると言われる実力機だが、それでも自分の思い通りの色でプリントすることはできない。

 その「思い通り」というのは、結局のところ、モニターで見たとおり、ということだ。モニター上で、写真に様々な手を加えて、コントラストを細かく調整したり、色味を変えてみたりするのだが、それをプリントするとまるで違った色になってしまう。もちろん専門的には、モニターの色とプリントの色を合わせる技術はあるのだろうが、それを駆使したところで、液晶の画面と紙にインクでは、素材がまるで違うのだから、同じ色など出るはずがない。

 それで写真についてはずいぶん投げやりになっていたのだが、最近、ニコンのオンラインアルバムを使うようになって、今までモニターの色プリントの色を近づけようと必死になっていたのが、何だか意味のないことのように思えてきた。つまり、今までは「プリント」こそが完成形だと思っていたが、そうである必然性はないのではないか、モニター上の画像が完成形だと思ってもいいのではないかと思うようになったのだ。

 紙に焼き付けたり、印刷しなければ写真ではない、という考えは、もう過去のものかもしれない。写真が、ある意味では、光の表現であるとしたら、光るモニターこそ、写真にはもっともふさわしいメディアなのかもしれないと思うのだ。そういえば、フィルムによる映像も、スライド映写機で投影される美しさにはどんな高級なプリントも敵わなかった。モニターの映像は、それにたぶん匹敵するものだろう。プリントにこだわることはないのかもしれない。


私の「ニコンオンラインアルバム」上のアルバムは blueside の名前で公開しています。どうぞご覧ください。

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