20 焦ったイルカ

2006.1


 飽きるから人間なのだそうである。

 確かに、パソコンは、たまにフリーズすることはあっても、もうこんな同じ作業にはウンザリだという理由で停止することはない。車も、いつも同じに曲がるのにはいい加減飽きたという理由で、右にハンドルを切ったのに左へ曲がってしまうということもない。機械は、壊れるけれど、決して飽きない。

 人間はすぐに飽きてしまう。もちろん、個体差というのはあって、十年一日のごとく、ソバ打ちして飽きないという人もいる。けれども、実際のところ、ほんとうに飽きたことはないのかと聞いたら、そりゃあ嫌になることもありますよ、でもこれが仕事ですからねえ、なんて言葉が返ってくることも十分に予想されるところである。ぼくも生徒からみれば、30年も教壇に立って、あんなつまらないギャグをよく飽きもせずに言い続けられるもんだなあと思われているだろうけど、実際にはとっくに飽きているのだ。ただ、諸般の事情があって、辞められないだけのこと。

 「飽きるから人間なのだ。」ということが書いてあった本には、またこんな話が載っていた。

 イルカを訓練するといろいろな芸をやるようになるが、そのイルカに、どんな芸をやってもエサを与えないでいるとどうなるか。イルカは、何をやってもエサをもらえないので、焦ってしまうそうだ。焦ったイルカは、どうしていいかわからずにうろうろしているが、突然、今までにやったことのないような芸をやってしまうことがあるのだそうだ。つまり「飛躍」するのだそうだ。

 「複雑系」という学問の分野の話なのだが、焦ったイルカが、突然、新しいことをしてしまう、ということが重要だそうで、それこそが生命に特有な現象なのだという。

 一つの命令に対して、いつも一つの答しか出せない機械では、こういうことは起きない。パソコンに向かって、「あい」と打ち込み、「変換キー」を押すと「愛」とか「逢い」とか「藍」とかに変換されるが、「あい」と打ち込んでおいて、何にもしないで放っておくと、どうしていいかわからなくなってしまったパソコンが、突然、「いいかげんしろ」と勝手に変換してしまうことは、少なくとも今のところは、ない。

 飽きたとき、嫌になったとき、いつもどおりにならないとき、これらのときは、実は人間が人間らしく反応するときなのだ。そこで思いがけないことをしてしまう。そして、何か新しいことが始まる。


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