19 また巡りあう

2006.1


 このごろのエッセイは、なんだか中年晩期から初老に入りかけてるおもむきがございますよ。過去あったことにまた巡りあって、しみじみ眺めまわしてる、ってふうです。

 と、先日友人からメールがあった。「初老」というのは、もともと40歳のことだが、最近では60歳前後が意識されると、辞書にはある。ぼくも今年のうちには57歳になるのだから、名実ともに「初老」といっていいのだろう。「中年晩期から初老に入りかけてるおもむき」が漂うのもやむをえないところだ。

 それより、「過去あったことにまた巡りあって、しみじみ眺めまわしてる。」というのは、また何と的確な表現であることだろう。前回の、忘れていたシューベルトなんか、まさにそのいい例で、「過去あったこと」であることも忘れて、まるで初めてのように出会っているのだから、「初老」というより、「ぼけ老人」に近いが、しかしこのようなことはぼくにとっては、今に始まったことではない。

 まったく、あなたはどうしてそう何でも忘れてしまうのかしら。「へーっ!」なんて、初めてみたいに驚くけど、もう何度も私が言って、あなたも頷いていたことじゃないの。まあそう言わないで。何度も驚けるって、得じゃないか、なんていう会話が、我々夫婦の間ではもう何十年も前から飽くことなく繰り返されてきたのである。

 忘れてしまっていることにまた出会うということも、そういうわけで多々あるのだが、件の友人のいうように「過去あったことにまた巡りあって、しみじみ眺めまわしてる。」こともまた多いのも事実である。

 だいたいが飽きっぽい性格なので、過去にいろいろ夢中になっていたことで、もう飽きてしまったことが山ほどあるが、十年単位ぐらいでそれが復活してくる。中学生の頃に熱中していた昆虫採集などは復活の気配はないけれど、最近復活してきたのが、「仏像趣味」である。

 高校3年のころ、当時発売された「原色日本の美術」(小学館)に触発されて、仏像への憧れが一挙に高まったことがある。大学に入って、その11月に一人で奈良を1週間ほどかけて歩きまわった。それ以来、仏像への興味は連綿として続いてきたが、どこか本気でないところがあった。それが、この正月、NHKの特集の再放送を見て以来、俄然熱を帯びて蘇ってきたのだ。

 こうなると、惚けてもいられない。仏像への「しみじみした」旅が、開始されるかもしれない。そんな気配である。


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