16 安堵と怒り
2005.12
この12月に中高時代の同級生が2人相次いで死去した。同じ年代の人間が亡くなるというのはショックなものである。
そんな折りも折り、ちょっとした外出の帰り、駅まで車で迎えに来た家内が「さっきMさんのお母さんから電話があったわよ。後で電話するって。」という。Mというのは中高時代の友人であるばかりでなく、小学校からの同級生だ。Mは数学の天才だったから、ぼくのような引き算もまともに出来ないような人間とはウマがあうはずもなく、卒業してからは、ほとんど付き合いはなかったのだが、最近では同期会で会ったりして、往年の不仲はまったく解消していた。しかし、そのMが電話をしてきたことなど、一度もなかったし、ましてその母親がぼくに電話してくるということも前代未聞のことだった。
「まさか、今度はMが死んだんじゃないだろうな。」思わずそう車の中で口走ったが、その言葉は、次第に確実性を帯びてぼくの心を覆い始めた。「だって、電話なんてしてきたことのないアイツのオフクロが、おれのところに直接電話してきたんだぜ。それ以外に何か考えられることがあるか?」「うーん、確かに、ないわねえ。」「そうだろ? おいおい、嫌だよ。また一人か。どうなってるんだ、いったい。」声は悲鳴に近くなる。
家に着いたが、電話を待っていることができなかった。こちらから電話をした。受話器を持つ手が少し震えた。電話に出てきたのは、Mの母親だった。聞き覚えのある声だ。しかも、昔と同じようなシャキシャキとした口調だ。「ああよかった。死んだんじゃないんだ。」そう思って安堵したとき、「あのねえ、今日栄光の後援会から何だか届いたんだけどさあ、うちのお父さんはもう死んだっていうのに、まだお父さんの名前で来るのよー。これもう送るのやめてもらえないものですかねえ。」
唖然とした。
これが40年数年ぶりに息子の友人に対する言葉だろうか。そんな手続き、自分でやれよ、と思ういとまもなく、「死んだんじゃない」という安堵感は、ぼくをめっぽう優しい男にして、「ああそれならいいですよ。ぼくが手続きしておきます。退会の時のお金ですか? そんなのぜんぜん必要ないです。ただ会報をお送りしてるだけなんですから。」という実にニコヤカな応対となった。
「じゃ、頼むわね。」の声を耳に残して受話器を置いてから、はじめて言いようのない怒りがこみあげてきた。
でも、死ななかったんだからいいや。